岡部永綱とは? わかりやすく解説

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岡部永綱

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/11/13 00:05 UTC 版)

岡部永綱(おかべ ながつな、天和8年10月15日)は、江戸幕府旗本。岡部長綱の三男で、兄に岡部綱、岡部一綱、子に岡部庄左衛門正綱がいる。通称は七之助、庄左衛門。

慶長9年(1604年)に9歳で徳川家光小姓となり、元和元年(1615年)の大坂夏の陣で、家光の使者として伏見城に赴き、そのまま大坂で徳川軍に合流し、軍功を挙げた。江戸に凱旋する砌に徳川家康徳川秀忠からそれぞれ時服2領ずつ賜る。その後は小姓組頭となるが、元和8年(1622年)に没した。享年27。法名は久盛。神田にあった吉祥寺に葬られた。妻は坂部広勝の娘。

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