岡本越後守説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/08 15:49 UTC 版)
朝鮮に出奔した日本の武将で、蔚山城の戦いと順天城の戦いでは朝鮮側の使者として和議交渉に登場した岡本越後守(阿蘇宮越後守)が沙也可ではないかとも言われている。岡本越後守は加藤清正の旧臣であり、九州の阿蘇氏と関係の深い人物だったと推測されている。阿蘇氏は肥後の豪族であるが、一揆を扇動したとして秀吉から弾圧され、数年後に今度は反乱に関与したとして当主阿蘇惟光が清正に謀殺されたのを恨んで降ったとする説である。
※この「岡本越後守説」の解説は、「沙也可」の解説の一部です。
「岡本越後守説」を含む「沙也可」の記事については、「沙也可」の概要を参照ください。
- 岡本越後守説のページへのリンク