山香二郎吉とは? わかりやすく解説

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山香二郎吉

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/11/22 05:03 UTC 版)

山香 二郎吉(やまが じろきち、1867年3月31日(慶応3年2月26日[1])- 1936年昭和11年)1月21日[2])は、日本の裁判官検察官大審院(現最高裁判所判事などを務めた。

経歴

広島藩士・黒田謙蔵の二男として生まれる。1875年旧広島藩士・山香興一の養子となる。広島藩校の後裔である修道学校(現:修道中学校・高等学校)で山田十竹らに学ぶ[3]。1884年司法省法学校(現:東京大学法学部)の学生募集をうけ、手島兵次郎らと共に上京し入学。1892年同校を卒業(第四期生)し司法部に入職。その後、広島控訴院(現:広島高等裁判所)判事などを歴任し、大審院(現:最高裁判所)判事となる。30年以上大審院判事および検事を務め退職[4]

脚注

  1. ^ 人事興信所編『人事興信録』第5版、1918年、や34頁。
  2. ^ 東京朝日新聞』1936年1月23日、朝刊11頁。
  3. ^ 修道学園同窓会報「修道」No71, p1545
  4. ^ 林保登「芸藩輯要: 附・藩士家系名鑑」77頁

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