山本匠真
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/10/27 13:38 UTC 版)
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| 選手情報 | ||||
| フルネーム | やまもと しょうま | |||
| ラテン文字 | Syoma YAMAMOTO | |||
| 国籍 | |
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| 競技 | 陸上競技 | |||
| 種目 | 短距離走 | |||
| 大学 | 広島大学大学院[1] | |||
| 生年月日 | 2002年6月20日(23歳) | |||
| 出身地 | 広島県廿日市市 | |||
| 身長 | 173cm | |||
| コーチ担当者 | 尾崎雄祐 | |||
| 世界選手権 | 男子4×100mR 決勝 4位(2024年) | |||
| 国内大会決勝 | 第108回日本陸上競技選手権大会 100m 8位(2024年) |
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| 自己ベスト | ||||
| 100m | 10.16 (2024年) | |||
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山本 匠真(やまもと しょうま、2002年6月20日 - )は、日本の男子陸上競技選手。専門は短距離走。100mで10.16の自己ベストを持つ[2]。
廿日市市立野坂中学校[3]、広島県立広島国泰寺高等学校を卒業 [4]。広島大学陸上競技部所属。
2024年世界リレー4×100mリレーの日本代表[5]。
2024年に日本陸上競技選手権大会で10.31を記録し、8位入賞[6]。
経歴 ・ エピソード
高校生まで
小学生時代はサッカーをしており、その時から足が速かったため、廿日市市立野坂中学校への進学を転機に陸上部に入り、短距離に取り組んでいた。それでも中学、高校と全国大会出場経験はなし。加えて、高校3年生の時は、コロナ禍で大会が中止になった[7]。
高校時代
2019年9月、高校2年生の時に出場した広島県高等学校新人陸上競技大会では男子100m決勝で、県8位に入賞した[7]。決勝でのタイムは11秒09、準決勝では10秒98(当時自己ベスト)を出している。
大学時代
陸上競技は高校で辞めるつもりであったが、陸上部の見学で入部を決意し、陸上競技を続けることとなった[7]。
大学3年生では日本学生陸上競技対校選手権大会で(10.33)を出し、3位に入っている[7]。
大学4年生では、毎年4月に行われる出雲陸上競技大会で(10.31)で3位[7]。5月には2024年世界リレーに日本代表として選ばれ、決勝で第一走で走り(38.45)4位で2024年パリオリンピックの出場権を獲得した[5]。その後の2024年パリオリンピックの日本代表には選ばれてない。6月の布勢スプリントでは予選で(10.16)の自己ベストを出し、決勝では(10.08)(+2.8m)で坂井隆一郎に勝ち、2位に入る[7][8]。
脚注
- ^ 「広島大大学院と世界陸上「二刀流目指す」 男子100メートルの山本さん進学」『中国新聞デジタル』2025年4月23日。2025年10月22日閲覧。
- ^ 井上翔太 (2025年9月20日). “広大院・山本匠真が西日本インカレ100mV 世界陸上100m予選の日に再スタート”. 4years. 2025年10月22日閲覧。
- ^ “地御前市民センターだより 第446号” (PDF). 広島県廿日市市. 地御前市民センター (2024年8月1日). 2025年10月22日閲覧。
- ^ “広島大学工学部4年 国泰寺高校出身 山本匠真「世界リレー」決勝に出場”. TBS (2024年5月14日). 2025年10月22日閲覧。
- ^ a b “日本男子4×100mRは4位!山本匠真、栁田大輝、上山紘輝、三輪颯太でつなぎ2大会連続メダルにあと0.01秒/世界リレー”. 月陸Online (2024年5月6日). 2025年10月27日閲覧。
- ^ “【高平慎士の視点】王者として、王者らしからぬ粘走で勝ち切った坂井隆一郎の意地 安定光った東田と重圧感じた栁田/日本選手権”. 月陸Online (2024年7月1日). 2025年10月27日閲覧。
- ^ a b c d e f “広島から世界の大舞台を目指す! 地道な努力家・三刀流の大学生スプリンターとは!?【アナたにプレゼン・テレビ派】”. 広テレ (2024年10月10日). 2025年10月27日閲覧。
- ^ “「決勝は吹きすぎてしまった」鈴木涼太が10秒06で優勝も追い風参考記録「この感覚を忘れないように」”. 日本テレビ (2024年6月3日). 2025年10月27日閲覧。
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