山崎庸哉とは? わかりやすく解説

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山崎庸哉

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/20 16:16 UTC 版)

山崎 庸哉(やまざき ようや[1] / ようさい[2]1861年文久元年1月[2][3]〉- 1916年大正5年〉2月11日[2][3])は、明治期の陸軍軍医政治家衆議院議員。最終階級は陸軍三等軍医正(少佐相当官)[2][3]

経歴

陸奥国閉伊郡津軽石村[1]岩手県[2]閉伊郡津軽石村、東閉伊郡津軽石村、津軽石村を経て現宮古市津軽石)で生まれた[1]済生学舎で学び、陸軍軍医講習生を経て、1884年(明治17年)陸軍軍医学校を卒業した[2][3]

陸軍三等軍医(少尉相当官)に任官[2][3]日清戦争に従軍[1][2][3]。1901年(明治34年)5月8日、陸軍一等軍医(大尉相当官)で予備役に編入された[4]

郷里で医院を開業した[1]篠民三の当選無効に伴い、1902年(明治35年)1月に実施された第6回衆議院議員総選挙岩手県第2区補欠選挙で当選し[1][2][5][6]憲政本党に所属し衆議院議員に1期在任した[2][3]

日露戦争に予備役軍医として従軍し[1]、弘前予備陸軍病院長に就任[2][3]。その後、函館警察署(現函館中央警察署)嘱託医を務めた[2]。1916年2月、北海道空知郡滝川町(現滝川市)で死去した[1]

脚注

  1. ^ a b c d e f g h 『岩手県姓氏歴史人物大辞典』353頁。
  2. ^ a b c d e f g h i j k l 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』308頁。
  3. ^ a b c d e f g h 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』474頁。
  4. ^ 『官報』第5352号、明治34年5月9日。
  5. ^ 『第一回乃至第十九回総選挙衆議院議員当選回数調』239頁。
  6. ^ 『官報』第5575号、明治35年2月6日。

参考文献

  • 衆議院事務局『第一回乃至第十九回総選挙衆議院議員当選回数調』1936年。
  • 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』衆議院事務局、1940年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 『岩手県姓氏歴史人物大辞典』〈角川日本姓氏歴史人物大辞典3〉角川書店、1998年。



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