尹昕
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/27 14:28 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動ユンフン 尹昕 | |
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生誕 | 1564年 |
死没 | 1638年 |
職業 | 文臣 政治家 |
親 | 尹斗寿 |
尹昕 | |
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各種表記 | |
ハングル: | 윤흔 |
発音: | ユンフン |
尹 昕(ユンフン、朝鮮語: 윤흔、1564年 - 1638年[1])は、李氏朝鮮の文臣、政治家[1]。宣祖時代に領議政を歴任した尹斗寿の次男。李氏朝鮮末期から連合軍軍政期に活動した政治家の尹致昊は尹昕の8代目の孫。
概要
丙子の乱の際、尹昕は清を蛮夷だとして、主君である中華の天子の忠実な諸侯として、また中華帝国のもっとも忠実な模範属国として、明に誠心誠意仕えることを主張し、清との講和に強硬に反対、主戦論を支持する[2]。
朝鮮の朝貢使節が北京詣でをする際、琉球の使臣は駕篭に乗って宮廷に入るのに対し、朝鮮の使臣は駕篭に乗ることを禁じられていたと、著書である『渓陰漫筆』に書いている[3]。そして尹昕は、李朝の朝鮮人臣民は琉球人以下の扱いを受けていたと嘆いている[3]。
著書
- 『渓陰漫筆』
脚注
- ^ a b “윤흔 尹昕,1564~1638”. 斗山世界大百科事典 2022年6月26日閲覧。
- ^ 李太平 編 『李王朝六百年史』洋々社、1968年1月1日、152頁。
- ^ a b 黄文雄 (2022年1月14日). “「中国が世界で一番信用できない」韓国人が日本より中国を嫌う訳”. オリジナルの2022年2月6日時点におけるアーカイブ。
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