小矢部市立大谷中学校
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/10/13 12:26 UTC 版)
| 小矢部市立大谷中学校 | |
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| 北緯36度39分53.197秒 東経136度53分44.632秒 / 北緯36.66477694度 東経136.89573111度座標: 北緯36度39分53.197秒 東経136度53分44.632秒 / 北緯36.66477694度 東経136.89573111度 | |
| 国公私立の別 | 公立学校 |
| 設置者 | 小矢部市 |
| 設立年月日 | 1965年4月1日 |
| 共学・別学 | 男女共学 |
| 学期 | 3学期制 |
| 学校コード | C116220930022 |
| 所在地 | 〒932-0812 富山県小矢部市金屋本江630番地[1] |
| 外部リンク | 公式サイト |
小矢部市立大谷中学校(おやべしりつ おおたにちゅうがっこう)は、富山県小矢部市にある市立中学校。
沿革
- 1965年4月1日に正得小学校、松沢小学校、若林小学校、荒川小学校の4学校を統合して創設。当初は正得教場を本校とし他を教場としていた。同年5月20日に小矢部市水牧10番地に校舎を建設することが決まり、1966年8月9日に校舎が完成、同年8月10日に落成式が挙行された。同時に大谷竹次郎翁の寿像が除幕された。同年9月1日に開校式および新校旗が樹立された。当時の児童数は正得162名、若林146名、松沢1818名、荒川140名の計629名であった[2]。
- 現在の校舎は1984年4月1日に供用が開始され[3]、11月25日には鉄筋一部2階建ての校舎が落成した[4][5]。
- 校名の「大谷」の由来は創立に際し多額の寄付[6][7]を行った実業家の大谷勇の姓から。大谷勇は小矢部出身の実業家大谷米太郎・竹次郎兄弟の身内(養子)で、少年時代貧しく学校にまともに通えなかったことから教育関係への寄付に熱心だった養父・竹次郎の遺志を継いで本校の設立を実現した[8]。
施設
松本正雄 (小矢部市長) の市政方針に則り、世界各地の有名建築を集合させた設計の建物になっている。 本校舎の塔屋は東京大学安田講堂、正面は東京大学教養学部、塔の先はイギリスのクライスト・チャーチ (オックスフォード大学)学生寮、体育館は大阪市中央公会堂、内部は国立劇場、南正門はベルサイユ宮殿の門、東門は瑞鳳門、西門は清峰門、北門は凱旋門、野外音楽堂は日比谷野外音楽堂、教育記念塔(大谷勇からの寄贈)はアルバート記念碑、クラブハウスのドームはフィレンツェ大聖堂を参考にしている[9]。
通学区域
大谷小学校校区[10]
周辺
著名な出身者
関連項目
脚注
- ^ 小矢部市立学校設置条例 別表(第2条関係)
- ^ 『小矢部市史 下巻』(1971年8月1日、小矢部市発行)339 - 340頁。
- ^ a b c d e f g 施設カルテ(小矢部市、2025年10月12日閲覧)
- ^ 『おやべ商工会 70年のあゆみ』(1993年4月16日、小矢部商工会発行)93頁。
- ^ 『北日本新聞』1984年11月26日付朝刊13面『散居村にメルヘンの校舎 小矢部市大谷中 有名建築物を集大成 しし舞みこし 地元総出で祝う』より。
- ^ “名誉市民|小矢部市ホームページ”. 2022年1月29日閲覧。
- ^ “公益財団法人大谷教育文化振興財団|財団概要 歴史・先人足跡”. 2022年1月29日閲覧。
- ^ 財団概要大谷教育文化振興財団
- ^ 創造と継承が交わる地平 : 人々が紡ぐ小矢部 小矢部に根付くメルヘン : 建築から市の象徴へ(吉田彩夏)富山大学、地域社会の文化人類学的調査29 2020-02-28
- ^ 小矢部市立小中学校の通学区域の設定に関する規則 別表(第1条関係)
外部リンク
- 小矢部市立大谷中学校のページへのリンク
