小林鉄次郎 (地本問屋)とは? わかりやすく解説

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小林鉄次郎 (地本問屋)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/06/23 03:52 UTC 版)

小林 鉄次郎(こばやし てつじろう、生没年不詳)は江戸時代末期から大正時代にかけての江戸東京地本問屋

来歴

丸屋鉄次郎(銕次郎)、延寿堂、丸鉄、丸屋と号す。名は鉄次郎または鉄治郎。嘉永から明治年間にかけて日本橋通2丁目で地本問屋を営業している[1]。丸鉄の時代には歌川広重の『箱根七湯一覧』、落合芳幾の『見立十二支』、2代目歌川広重の『英吉利西竜道大港』などのほか、歌川国麿の作品を出版している。明治に入ってから小林鉄次郎の名を使用しており、日本橋通3丁目13において3代歌川広重早川松山豊原国周楊洲周延小林永濯山崎年信小林清親小島勝月などの錦絵を出版している。明治21年(1888年)から明治23年(1890年)まで東京地本彫画営業組合の組合長を務めている。明治28年(1895年)には神田区裏神保町6で営業している。

作品

  • 歌川国麿 『写生猛虎之図』 大判 錦絵 万延1年(1860年)
  • 落合芳幾 『万国男女人物図会』 大判3枚続 錦絵 文久1年(1861年)
  • 2代目歌川広重 『横浜繁栄之図』 大判3枚続 錦絵 慶応1年(1865年)
  • 3代目歌川広重『東京名勝図会』
  • 早川松山 『生麦之発殺』 大判3枚続 明治10年(1877年) 横浜市立中央図書館所蔵
  • 豊原国周 『開化人情鏡』 大判 錦絵揃物 明治11年
  • 楊洲周延 『雪中梅荘群児遊戯図』
  • 小林永濯 『鹿児島紀聞』 大判
  • 山崎年信 『大日本海陸軍一覧』 大判3枚続 明治11年(1878年) 萩博物館所蔵
  • 小林清親 『武蔵百景之内』 大判34枚揃物 明治17年(1884年)‐明治18年(1885年) ※明治17年の25点、18年の3点、不明の6点
  • 小林清親 『彫画共進会之内 小野小町』 大判3枚続 明治18年 青木コレクション(千葉市美術館寄託)
  • 小島勝月 『教育誉之手術』 大判3枚続 錦絵 明治22年(1889年)
  • 小林清親 『宇治川 佐々木高綱 梶原景季水馬図』 大判3枚続 明治31年(1898年) 太田記念美術館所蔵

脚注

  1. ^ 『原色浮世絵大百科事典』第3巻は嘉永から明治とし、『浮世絵の基礎知識』は文久から明治とする。

参考文献




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