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小幡信秀

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/12 15:14 UTC 版)

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小幡 信秀
生誕 未詳
死没 天正18年(1590年
別名 左衛門尉
主君 武田信玄武田勝頼滝川一益北条氏直
氏族 小幡氏
父母 父:小幡憲重
兄弟 信真信高昌高、昌定、信秀武田信豊室、高田信頼
孫市、有宗
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小幡 信秀(おばた のぶひで)は、戦国時代武将。国峯城を本拠とした上野小幡氏の一族。

生涯

寛政重修諸家譜』によると父は小幡憲重でその末子にあたり、貫先神社に伝来する小幡氏の系図にも名前が確認されている。但し信秀の動向を示す史料は殆どない[1]

天正18年(1590年)の小田原征伐において、甥で小幡氏当主の信定が一族を率いて小田原城に籠城すると、信秀は国元に残り国峯城を守備した。しかし同じく甥の信氏が北陸道を進軍してきた前田軍に投降して国峯城を攻撃したため、信秀夫妻は殺害されたという[1]

子のうち孫市はその後徳川家に仕え、有宗は真田信之に仕え子孫は松代藩士となった[1][2]。尚、孫市・有宗兄弟に関しては兄・信真の子であるという伝承もある[1]

脚注

  1. ^ a b c d 久保田順一「小幡一族と小幡谷」『戦国上野国衆辞典』戎光祥出版、2021年。
  2. ^ 丸島和洋「小幡有宗」『真田一族と家臣団のすべて』KADOKAWA、2016年。

参考文献

  • 久保田順一『戦国上野国衆辞典』戎光祥出版、2021年
  • 丸島和洋『真田一族と家臣団のすべて』KADOKAWA、2016年



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