富内郡
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富内郡(とんないぐん)は、日本の領有下において樺太に存在した郡。江戸時代には東冨藍(トンナイ)領に属した。
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- ^ 木村裕俊 「道南十二館の謎」111頁 ISBN 978-4-8328-1701-2
- ^ 海保嶺夫 エゾの歴史 117,149-152頁 ISBN 978-4-0615-9750-1
- ^ 木村裕俊 「道南十二館の謎」95-98,137-138頁 ISBN 978-4-8328-1701-2
- ^ 函館市史 通説編1 通説編第1巻 第3編 古代・中世・近世 第1章 安東氏及び蠣崎氏 第3節 中世期の商品流通
- ^ 五所川原市の地域経済循環分析 安東氏の活動範囲は北海道や樺太のほか、大陸にも及んでいたという
- ^ 新岡武彦・宇田川洋著 167-170頁 ISBN 4-8328-9013-1
- ^ 松前町「松前の文化財」 - 松前家伝 銅雀台瓦硯
- ^ 稚内史 第二章 ロシアの乱暴と山崎半蔵の宗谷警備
- ^ 文化四(千八一七)年ロシアの択捉島襲撃を巡る諸問題 川上淳
- ^ 高野明、「フヴォストフ文書考」『早稲田大学図書館紀要』 1964年 6巻 p.1-28, hdl:2065/00053944, NAID 120006306514
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- ^ 目賀田帯万が安政3年4年(1856・57)頃のカラフト沿岸を写生した「延叙歴検真図」の再写図
- ^ 榎森進、「「日露和親条約」がカラフト島を両国の 雑居地としたとする説は正しいか?」『東北文化研究所紀要』 2013年 45号 p.1-22, 東北学院大学東北文化研究所
- ^ 「北海道の歴史と文化」(北海道史研究協議会編)史料紹介 樺太南部を中心とした栖原家家譜(秋田俊一)
- ^ 平成18年度 秋田県公文書館企画展 秋田藩の海防警備
- ^ 榎森進、「「日露和親条約」調印後の幕府の北方地域政策について」『東北学院大学論集 歴史と文化 (52)』 2014年 52巻 p.17-37, NAID 40020051072
- ^ 秋月俊幸、「明治初年の樺太 日露雑居をめぐる諸問題」『スラヴ研究』 1993年 40巻 p.1-21, 北海道大学スラブ研究センター
- ^ 第十七回資料紹介展 徳島県人の北海道移住 徳島県立文書館
- ^ 髙木崇世芝、近世蝦夷地の地名
- ^ 山口精次「橋立出身 忠谷・田端家の函館に於ける商業活動」『市立函館博物館研究紀要』第20巻、市立函館博物館、2010年、21-50頁、doi:10.24484/sitereports.121115-58797。
- ^ 法律第39号 官報 大正7年(1918年)4月17日
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