宮本まさみとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 宮本まさみの意味・解説 

宮本まさみ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/07/31 07:56 UTC 版)

宮本 まさみ(みやもと まさみ、1934年昭和9年)9月2日 - )とは、日本の飛込競技選手。1952年ヘルシンキオリンピックに出場した。

経歴

1934年9月2日、石川県金沢市に生まれる[1][2]石川県立金沢桜丘高等学校に入学後、1950年第5回国民体育大会1951年の全国高校選手権に出場した[1]1952年6月19日から行われた日本選手権では飛板飛込で104.98点を獲得し優勝、ヘルシンキオリンピックへの出場権を手にした[1][3]。当時は大沢姉妹に次ぐ飛込界の新星と目された[1]。高校3年生で迎えた[4]ヘルシンキオリンピックでは飛込競技日本代表として参加し、飛板飛込では15位(46.88点)で予選敗退[5]、高飛込では11位(36.24点)で予選敗退[6]となった。高校卒業後は天理大学に進学して兵庫県丹波市に暮らし、1953年の日本選手権では飛板飛込、高飛込共に優勝した[7]1954年アジア競技大会では飛込競技に出場し飛板飛込・高飛込共に優勝、1958年アジア競技大会でも飛込競技に出場し高飛込で準優勝した[2]。同年11月3日北國新聞社より北国文化賞を授与された[8]1972年の段階では姓が矢野となっている[9]

人物

身長1.59メートル、体重50キログラムであった[1]

脚注

  1. ^ a b c d e 「五輪派遣選手決る」『新聞月鑑 = News mirror』4(42)、新聞月鑑社 1952年7月 89ページ
  2. ^ a b Masami Miyamoto Olympedia(2023年7月31日閲覧)
  3. ^ 北国新聞社 編『北国年鑑 昭和28年版』北国新聞社、1952年 108ページ
  4. ^ 坂戸公顕『女2000人 : お国自慢』学風書院、1952年 86ページ
  5. ^ Springboard, Women Olympedia(2023年7月31日閲覧)
  6. ^ Platform, Women Olympedia(2023年7月31日閲覧)
  7. ^ 大和タイムス社編『奈良県年鑑 1954年』大和タイムス社、1953年 414ページ
  8. ^ 石川県教育委員会石川県史編集室 編『石川県年表 昭和篇 第2』石川県教育委員会、1958年 521ページ
  9. ^ 『石川県史 現代篇 4』石川県、1972年 1084ページ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  宮本まさみのページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「宮本まさみ」の関連用語

宮本まさみのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



宮本まさみのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの宮本まさみ (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS