宝珠院_(大田区)とは? わかりやすく解説

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宝珠院 (大田区)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/11/23 03:03 UTC 版)

寳珠院
所在地 東京都大田区仲六郷4-34-8
位置 北緯35度32分37.5秒 東経139度42分38.1秒 / 北緯35.543750度 東経139.710583度 / 35.543750; 139.710583座標: 北緯35度32分37.5秒 東経139度42分38.1秒 / 北緯35.543750度 東経139.710583度 / 35.543750; 139.710583
山号 御幡山[1]
院号 寳珠院
宗派 真言宗智山派
本尊 阿弥陀如来
創建年 天喜5年(1057年
開基 源頼義源義家
中興年 江戸時代初期
中興 弁栄
正式名 御幡山寳珠院建長寺
別称 赤門の寺
札所等 玉川八十八ヶ所霊場85番札所、東海三十三観音霊場27番札所
公式サイト 寶珠院(宝珠院)東京都大田区の寺
法人番号 4010805000264
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寳珠院(ほうしゅいん)は、東京都大田区にある真言宗智山派寺院

概要

1057年天喜5年)、源頼義義家父子の開基である。前九年の役の凱旋の際に、八幡宮(現在の六郷神社)を創建するとともに、隣に阿弥陀如来本尊とする寺を建てた。これが当寺の由来であり、六郷神社の旧別当寺であった[2]

江戸時代初期に弁栄(1653年寂)によって再興された[2]。一説では、弁栄こそが開山としている記録がある[3][注釈 1]

江戸時代は葵御紋と長柄乗輿が認められる格式の寺であった[3]

六郷神社の旧別当寺という関係から、当寺には「僧形八幡大菩薩」が安置されている[3]

交通アクセス

脚注

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注釈

  1. ^ 新編武蔵風土記稿』では社伝に弁栄が開基とあるが中興の人であろう、としている[1]

出典

  1. ^ a b 新編武蔵風土記稿 八幡塚村.
  2. ^ a b 寳珠院の歴史と行事寳珠院
  3. ^ a b c 新倉善之 著『大田区史跡散歩 (東京史跡ガイド11)』学生社、1992年、107p

参考文献

  • 新倉善之 著『大田区史跡散歩 (東京史跡ガイド11)』学生社、1992年
  • 「八幡塚村 別当寳珠院」 『新編武蔵風土記稿』 巻ノ40荏原郡ノ2、内務省地理局、1884年6月。NDLJP:763981/8 

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