宝林寺 (江戸川区)とは? わかりやすく解説

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宝林寺 (江戸川区)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/06/07 00:47 UTC 版)

宝林寺
所在地 東京都江戸川区北小岩3-23-11
位置 北緯35度44分12.6秒 東経139度53分43.7秒 / 北緯35.736833度 東経139.895472度 / 35.736833; 139.895472座標: 北緯35度44分12.6秒 東経139度53分43.7秒 / 北緯35.736833度 東経139.895472度 / 35.736833; 139.895472
山号 愛宕山[1]
院号 地蔵院[1]
宗派 真言宗豊山派 [1]
本尊 不動明王[1]
創建年 戦国時代末期~江戸時代初期
開山 文秀房法印
札所等 東三十三所観音霊場28番札所
文化財
  • 常燈明
  • 地蔵菩薩像庚申塔
公式サイト 真言宗宝林寺は都内で仏事でお困りの方のご相談をお受けしております
法人番号 3011705000181
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宝林寺(ほうりんじ)は、東京都江戸川区にある真言宗豊山派寺院

概要

戦国時代末期~江戸時代初期、文秀房法印(1607年寂)によって開山された[2]

境内には、数多くの庚申塔がある[1]。また墓地には伊予田村(現・北小岩)の開拓者の篠原伊予の墓がある[1]。篠原伊予は里見義弘の家臣で「安西伊予守実元」という名の武士だったが、国府台合戦で敗れ、この地まで落ち延びて土着したという[3][4]

文化財

  • 常燈明 - 江戸川区登録有形文化財・建造物、昭和56年1月13日告示[5]
    • 天保10年(1839)に建てられ小岩市川の渡しにあったが、昭和9年(1934)の江戸川改修時に当寺に移された[5]
  • 寳林寺所在の地蔵菩薩像庚申塔(寛文十年銘) - 江戸川区登録有形民俗文化財・民俗資料、昭和59年2月28日告示[6]

交通アクセス

脚注

  1. ^ a b c d e f 江戸川区史.
  2. ^ 宝林寺トップページ宝林寺
  3. ^ 江戸川区 篠原伊予.
  4. ^ 内田定夫 著『江戸川区史跡散歩 (東京史跡ガイド23)』学生社、1992年、27-29p
  5. ^ a b 江戸川区 常燈明.
  6. ^ 江戸川区 地蔵菩薩像庚申塔.

参考文献

関連文献

関連項目

外部リンク




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