宍戸留美_全人類が愛しい夜とは? わかりやすく解説

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宍戸留美 全人類が愛しい夜

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/09/09 14:56 UTC 版)

宍戸留美 全人類が愛しい夜
ジャンル バラエティ番組
放送期間 1991年4月14日10月6日
放送時間 日曜日 21:30〜22:00
放送局 ニッポン放送
制作 ニッポン放送
ネットワーク 無し
パーソナリティ 宍戸留美
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宍戸留美 全人類が愛しい夜(ししどるみ ぜんじんるいがいとしいよる)は、1991年4月14日から同年10月6日まで、ニッポン放送で放送されていたラジオ番組

放送時間は毎週日曜日の21:30〜22:00。

概要

本番組のパーソナリティ宍戸留美は当時、同じニッポン放送で同じ1991年の3月1日から『伊集院光のOh!デカナイト フライデースペシャル』にアシスタントとして寺尾友美と共にレギュラー出演していたが、それから1か月で単独で出演する本番組がスタートした。本番組の基本コンセプト、テーマは「平和」[1]。なお、本番組はニッポン放送のみでの放送だった[2]

1991年6月16日放送の回では、BAKUをゲストに迎えた。

本番組はニッポン放送ショウアップナイターの後座番組(クッション番組)『ショウアップナイターフラッシュ』のすぐ後の番組であり、ナイター中継が21:30以降にも延長した場合は本番組は15分に短縮または休止となってお蔵入りになった[注釈 1]

一時は「10月からも放送時間を変えて継続」と報じられていたことがあった[4]が、諸事情により継続は無くなり、10月6日をもって6か月で終了した。

主なコーナー

  • コントコーナー[5]
  • ルンルン保健室[5]

脚注

[脚注の使い方]

注釈

  1. ^ 1991年4月14日〜同年10月6日各日の新聞ラジオ欄では、最初からナイター中継が組まれていなかった回が4回、翌日の新聞スポーツ面から、中継が予定されていたナイターが中止になった回が2回、中継が予定されていたナイターが21:30以降にも延長して本番組が短縮または休止になった日が4回確認できる。なお当時のショウアップナイターは中継カードが試合終了しても他の試合が続いてい場合、そこにマイクを移してナイター放送を続けたこともあったので、この他に本番組が短縮・休止になった日があったかどうかは不明[3]

出典

  1. ^ 「雄叫びラジオ」『明星』1991年6月号、集英社、 210頁。
  2. ^ ラジオ新番組速報版三才ブックス) 1991年春号 各局番組表。
  3. ^ 1991年4月14日〜1991年10月6日各日の新聞ラジオ欄、及び1991年4月15日〜1991年10月7日各日の朝日新聞スポーツ面。
  4. ^ 「新鮮サラダWAVE」『明星』1991年11月号、集英社、 132頁。
  5. ^ a b 朝日新聞 1991年4月14日ラジオ欄 本番組の紹介記事。
ニッポン放送 日曜21:30 - 22:00 枠
前番組 番組名 次番組
宍戸留美 全人類が愛しい夜
(1991年4月 - 1991年10月)



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