孔門十哲とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 孔門十哲の意味・解説 

孔門十哲

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/08 22:36 UTC 版)

孔門十哲(こうもんじってつ)は、「孔門の十哲」「四科十哲」ともいわれ、孔子の弟子の中でも最も優れた10人の弟子を指す。

一覧

子曰、從我於陳・蔡者、皆不及門也。徳行、顔淵・閔子騫・冉伯牛・仲弓。言語、宰我・子貢。政事、冉有・季路。文學、子游・子夏。 — 『論語』先進篇

より、4つの科目(徳行・言語・政事・文学)の計10人。

ただし、曾参(曾子)や子張といった面々が入っていないため、あくまでに孔子と一緒についていった者たちから選んだのだとする説もある。また、挙げられた名前がではなく(あざな)である点から、孔子自身が選んだ人選ではなく、第三者による撰であるとするのが定説である(孔子ならば弟子に対しては字ではなく諱で呼ぶため)。

徳行

  • 顔淵(がんえん)(顔回(がんかい))
  • 閔子騫(びんしけん)
  • 冉伯牛(ぜんはくぎゅう)
  • 仲弓(ちゅうきゅう)

言語(弁舌の才)

政事

  • 冉有(ぜんゆう)
  • 季路(きろ)(子路(しろ))

文学(学問の才)

孔門十二哲

開元8年(720年)以降、孔門十哲と曽子を特別に重要な弟子として孔子とともに廟で祀るようになった[1]南宋咸淳3年(1267年)には、顔回曾子子思孟子四聖を特別扱いし、顔回にかえて子張を十哲に加えた[2]朝では、十哲に朱子有若を加えて十二哲とした[3]

孔門十哲の弟子を題材にした作品

小説

関連項目

脚注

  1. ^ 唐会要』 巻三十五・褒崇先聖https://archive.org/stream/06049316.cn#page/n110/mode/2up 
  2. ^ 邱濬『大学衍義補』 巻66、1487年https://archive.org/stream/06071484.cn#page/n148/mode/2up。「度宗咸淳三年、以顔回曾参孔伋孟軻並祀孔子、升顓孫師於十哲、列邵雍司馬光於従祀。」 
  3. ^ 大清会典事例』 巻四百三十六・先師廟制https://archive.org/stream/02088531.cn#page/n38/mode/2up 


このページでは「ウィキペディア」から孔門十哲を検索した結果を表示しています。
Weblioに収録されているすべての辞書から孔門十哲を検索する場合は、下記のリンクをクリックしてください。
 全ての辞書から孔門十哲 を検索

英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「孔門十哲」の関連用語


2
冉雍 デジタル大辞泉
100% |||||

3
子游 デジタル大辞泉
100% |||||

4
子夏 デジタル大辞泉
100% |||||

5
子貢 デジタル大辞泉
100% |||||

6
子路 デジタル大辞泉
100% |||||

7
残念閔子騫 デジタル大辞泉
100% |||||

8
閔子騫 デジタル大辞泉
100% |||||


10
孔門の十哲 デジタル大辞泉
92% |||||

孔門十哲のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



孔門十哲のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの孔門十哲 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS