奧原敏雄とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 奧原敏雄の意味・解説 

奥原敏雄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/12/30 23:59 UTC 版)

奥原 敏雄(おくはら としお、1932年12月16日[1] - 2015年12月30日)は、日本国際法学者、国士舘大学名誉教授

大連に生まれ、熊本県出身。尖閣諸島の研究に力を尽くし、日本尖閣史学の開祖とされる[要出典]

昭和40年代後半、京都大学教授井上清との間で戦わされた奥原井上論争は、 その後の尖閣史論争の原型となった[要出典]

井上は赤尾嶼(久米赤島、大正島)まで歴史上の中国領土だったとしたが、奧原は清国官製の台湾地誌に清国台湾府の北限が鷄籠(基隆)までと記載されていることを以て井上の主張を否定した。

また琉球冊封使最古の記録である陳侃『使琉球録』に、琉球国王からの派遣人員が水先案内をつとめたと記載されていることに 奥原が最も早く論及し[要出典]、中国側が尖閣諸島の発見者であることを否定した。

2015年12月30日午後1時23分、前立腺がんのため死去。享年83[2][3]

出典

  1. ^ 『現代物故者事典2015~2017』(日外アソシエーツ、2018年)p.135
  2. ^ 奥原敏雄氏死去”. BUSINESS LIVE (2016年1月7日). 2019年12月17日閲覧。
  3. ^ 奥原敏雄氏死去(国士舘大名誉教授)”. 時事通信社 (2016年1月7日). 2014年1月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年12月30日閲覧。



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「奧原敏雄」の関連用語

奧原敏雄のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



奧原敏雄のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの奥原敏雄 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS