天祥寺_(墨田区)とは? わかりやすく解説

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天祥寺 (墨田区)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/06/01 01:19 UTC 版)

天祥寺
所在地 東京都墨田区吾妻橋2-6-5
位置 北緯35度42分33.1秒 東経139度46分13.3秒 / 北緯35.709194度 東経139.770361度 / 35.709194; 139.770361座標: 北緯35度42分33.1秒 東経139度46分13.3秒 / 北緯35.709194度 東経139.770361度 / 35.709194; 139.770361
山号 向東山
宗派 臨済宗妙心寺派
本尊 阿弥陀如来
創建年 寛永元年(1624年
中興年 元禄6年(1693年
中興 盤珪国師
法人番号 9010605000360
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天祥寺(てんしょうじ)は、東京都墨田区にある臨済宗妙心寺派寺院

概要

1624年寛永元年)に創建された。現在の台東区にある海禅寺が兼帯する寺院として建てられ、当初の名称は「嶺松院」であった[1]

1693年元禄6年)、平戸藩藩主松浦鎮信が海禅寺より嶺松院を譲り受け、盤珪国師を中興とした[1]

1716年正徳6年)、近くに松嶺寺という寺号が類似する寺があり紛らわしいため、鎮信の戒名天祥院殿慶厳徳祐大居士」[2]から、「天祥寺」に改名した[1]

墓所

平戸藩のお抱え力士で、生前は天祥寺に住んでいた。

交通アクセス

脚注

  1. ^ a b c 小島惟孝 著『墨田区史跡散歩 (東京史跡ガイド7)』学生社、1993年、67-68p
  2. ^ 鎮信は生前、南宋文天祥を厚く尊敬しており、戒名の「天祥」は文天祥に由来する。また「徳祐」は南宋が事実上滅亡したときの元号である。

参考文献

  • 小島惟孝 著『墨田区史跡散歩 (東京史跡ガイド7)』学生社、1993年

関連項目




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