天狗攫いと男色
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/06/24 06:02 UTC 版)
人見蕉雨の『黒甜瑣語』(1795年)には、当時神隠しに遭って帰ってきた少年や男たちは「天狗の情朗」と呼ばれていたとある。情朗は「陰間」とも呼ばれ、神隠しの犠牲者は邪な性的欲求の犠牲者と認識されていた。この認識は広く浸透していたようで、平田篤胤も門人を介して寅吉に、天狗の世界では男色は行われていなかったかと質問したところ、寅吉は「ほかの天狗の山はいざ知らず自分が修行した山では男色の風などなかった」と返答している。柳田國男は『天狗の話』のなかで、天狗攫いは実際には悪質な修験者や「山の民」が、性的欲求を満たすために人里で美少年を拉致していたものだと推測している。
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