大沢基隆 (左京大夫)とは? わかりやすく解説

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大沢基隆 (左京大夫)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/07/19 16:02 UTC 版)

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大沢基隆
時代 江戸時代後期
生誕 不明
死没 文化6年3月26日1809年5月10日
別名 通称:陽之助、左京
官位 従五位下侍従左京大夫
幕府 江戸幕府 高家旗本
主君 徳川家斉
氏族 持明院家庶流大沢氏
父母 父:大沢基季、母:京極高永養女
兄弟 基靖、基隆基休ら3男2女
喜連川恵氏
養子:基休

大沢 基隆(おおさわ もとたか)は、江戸時代後期の高家旗本通称は陽之助、左京。官位従五位下侍従左京大夫

略歴

大沢基季の次男として誕生した。生母は京極氏の娘。

兄・基靖の早世により、父・基季の嫡子となる。享和元年12月15日(1802年)、11代将軍・徳川家斉御目見する。文化4年(1807年)8月晦日、部屋住みながら高家見習に召し出される。役料として500俵を支給される。同年11月4日、従五位下・侍従・左京大夫に叙任する。

文化5年12月26日(1809年)、父・基季の死去により家督を相続する。文化6年(1809年)3月26日死去。

養子・基休(弟)らの子女あり。




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