大塚永蔵
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大塚 永蔵(おおつか えいぞう、1849年(嘉永2年1月[1]) - 1919年(大正8年)4月30日[1])は、明治から大正時代の政治家。銀行家。貴族院多額納税者議員。栃木県下都賀郡豊田村長。
経歴
栃木県出身[1]。実家は大地主。1872年(明治5年)以降、同県下都賀郡卒島村副戸長、同郡豊田村長のほか、石崎政蔵らと設立した小山銀行頭取などを歴任した[1]。
1895年(明治28年)栃木県多額納税者として補欠選挙で貴族院議員に互選され、同年11月8日から[2]1897年(明治30年)9月28日まで在任した[1]。
1898年、井上馨、江木千之の仲介で、北海道の豪商柳田藤吉と組んで、栃木県内の大地主5名とともに鰊粕を販売する「北海道肥料販売同盟」を設立したが、鰊の不漁により失敗し、大金を投じていた大塚は、1900年には「ほとんど破産の境遇」になったと新聞報道され、金銭トラプルを抱えた[3][4]。
脚注
- ^ a b c d e 衆議院、参議院 1960, 184頁.
- ^ 貴族院事務局 1947, 6頁.
- ^ 明治 30 年代における鰊〆粕の新規販売計画高橋周、国際漁業研究 第 20 巻,2022
- ^ 辨償金請求ノ件 大審院民事判決録(民録)11輯1111頁名古屋大学
参考文献
- 『貴族院要覧 昭和21年12月増訂 丙』貴族院事務局、1947年。
- 衆議院、参議院 編『議会制度七十年史 第1』大蔵省印刷局、1960年。
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