大伯母ガラテア
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 03:18 UTC 版)
クラークは優れた種牡馬を求めて、ガラディを連れてイギリスやフランスを頻繁に往復した。1936年にフランスの種牡馬ダークレジェンドを父として産まれたのがガラテア(Galatea)で、ガラテアは1939年に1000ギニーとイギリスオークスの二冠に勝った。 この年、牡馬ではブルーピーターが2000ギニーとダービーの二冠を制しており、三冠目となる秋のセントレジャーではブルーピーターとガラテアの対決に加え、フランスの二冠馬ファリスも参戦を表明し、この秋のヨーロッパで最大の注目レースとなった。ところがセントレジャーの前の週にドイツ軍がポーランドへ侵攻して第二次世界大戦が始まり、セントレジャーは中止となった。
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