坂東三津五郎 (2代目)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 坂東三津五郎 (2代目)の意味・解説 

坂東三津五郎 (2代目)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/14 00:01 UTC 版)

二代目坂東三津五郎(当時)の石井源蔵。寛政5年(1793年)5月、江戸都座の『花菖蒲文禄曽我』より。東洲斎写楽画。

二代目 坂東三津五郎(にだいめ ばんどう みつごろう、寛延3年〈1750年〉- 文政12年10月3日1829年10月30日〉)とは、江戸中期の歌舞伎役者。屋号大和屋俳名は里遊・是業・初朝・是葉。定紋は三つ大。のちに二代目 荻野伊三郎(にだいめ おぎの いさぶろう)を名乗る。

来歴

上方の生まれで、初め初代尾上紋太郎の門下で尾上藤蔵と名乗り、京都四条の大芝居で子役として評判を得、宮地芝居や子供芝居で立者となる。その後初代尾上紋三郎襲名

天明元年(1781年)江戸に下り、初代坂東三津五郎の門人となるが、翌年に師が死去、その一子初代坂東巳之助に三津五郎襲名の話がもちあがったが、何ぶんまだ幼年だったことから、紋三郎が中継ぎとして天明5年に二代目三津五郎を襲名した。寛政11年(1799年)に巳之助改メ初代坂東蓑助に「三津五郎」の名跡を返上してこれを三代目とすると、自らは二代目荻野伊三郎を襲名。ここから本当の活躍がはじまり、和事実事所作事いずれをもこなす大看板となる。享和3年(1803年)には河原崎座で初の座頭を勤めたが、文政9年(1826年)9月以降の番付にはその名が見えなくなる。享年80。当時においては長命の数え80の大往生だった。

主な当たり役は『義経千本桜』の狐忠信、『菅原伝授手習鑑』の判官代輝国など。子に三代目荻野伊三郎がいる。

参考文献

  • 野島寿三郎編 『歌舞伎人名事典』(新訂増補) 日外アソシエーツ、2002年 ※「荻野伊三郎(2代目)」の項(168頁)

関連項目




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「坂東三津五郎 (2代目)」の関連用語

坂東三津五郎 (2代目)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



坂東三津五郎 (2代目)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの坂東三津五郎 (2代目) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS