土橋忠昭
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/13 07:22 UTC 版)
土橋 忠昭(どばし ただあき、1927年 <昭和2年> 5月18日[1] - 2002年 <平成14年> 2月26日[2])は、日本の政治家。元大阪府松原市長(7期)。位階は正五位。勲等は勲三等瑞宝章。
経歴
大阪府出身[3]。大阪府立堺工業学校(現・大阪府立堺工科高等学校)卒業[3]。卒業後は中河内郡松原町(現・松原市)役場に入り、総務、企画財政の各部長を経て[3]、1974年(昭和49年)松原市長に当選する[3]。
市長就任後に市の木(マツ)、市の花(バラ)を制定[4]。ほか学校施設の充実、都市基盤の整備、福祉の向上や産業の振興などに努めた[4]。その後は市民に対するサービスや市民の安全の確保、生活関連施設の整備など、地域の実情に即した施策を促進した[4]。
市長を7期務め、2001年(平成21年)に任期途中で退任した。2002年2月死去。死没日付をもって叙正五位、勲三等瑞宝章受章[2]。
脚注
参考文献
- 歴代知事編纂会編『日本の歴代市長』第2巻、歴代知事編纂会、1983年。
- 『新訂 現代政治家人名事典 : 中央・地方の政治家4000人』日外アソシエーツ、2005年。
- 『全国歴代知事・市長総覧』日外アソシエーツ、2022年。
- 土橋忠昭のページへのリンク