圓照寺 (吹田市)とは? わかりやすく解説

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圓照寺 (吹田市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/13 02:26 UTC 版)

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圓照寺
解体された旧山門
所在地 大阪府吹田市山田東3丁目14-27
位置 北緯34度47分59.8秒
東経135度31分51.4秒
山号 圓満山
院号 普門院
宗旨 真言宗
宗派 高野山真言宗
本尊 千手観音
創建年 仁寿3年(853年
開基 円仁(慈覚大師)
正式名 圓満山普門院圓照寺
別称 千里山田観音
札所等

摂津国八十八箇所第43番

摂津国三十三箇所第28番
公式HP https://enshoji.net
法人番号 3120905001235
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圓照寺(えんしょうじ)は、大阪府吹田市山田東にある高野山真言宗の寺院。

歴史

寺伝によれば、仁寿3年(853年)文徳天皇の勅により円仁(慈覚大師)が創建。 円仁が桜の木の中に感得した千手観音を、自ら一刀三礼して勤刻した千手観音菩薩像を本尊とする。貞観12年に清和天皇が行幸されて本尊を秘仏と定める。 元慶6年には陽成天皇が病気回復を祈願し、その御礼として行幸された際、日光菩薩月光菩薩の脇士を寄進したという。 寛平6年(894年)宇多天皇の勅命により、醍醐寺聖宝理源大師が入寺し、不動毘沙門二天を護摩堂に安置、皇后の病気平癒をご祈祷する。これより真言の道場となる。 寺坊は山田全域に建てられ、円実坊・十地坊など十余の僧坊があり、観音堂・奥院など七堂伽藍が整備されたという。

応仁の頃(1467年-1469年)細川氏の家臣、香西玄蕃が山田庄中村に一城を構え寺領を横奪し伽藍を破壊。 江戸時代初期、円実坊阿闍梨覚玄が残った諸仏像を草堂に祀り、一村本願寺顕如に帰依した時期も小堂に諸仏を安置されていた。 ようやく、万治年間(1658年-1661年)に法仰覚祐が領主板倉阿波守の助力で再建する[1]

昭和45年(1970年)、本堂を新築再建する。

平成8年(1996年)、准胝堂・鐘楼・地蔵堂を新築再建する。

大阪府北部地震及び平成30年台風第21号の影響により山門と地蔵堂が破損し、解体される。

文化財

大阪府指定文化財
1970年(昭和45年)2月20日指定[2]
  • 木造観音菩薩立像(寺伝日光・月光菩薩像) - 平安時代
1974年(昭和49年)3月29日指定[3]
吹田市指定文化財
  • 絹本著色妙音天像 - 鎌倉時代
1998年(平成10年)9月30日指定[4]
吹田市登録有形文化財
  • 絹本墨画不動明王像 - 鎌倉時代〜南北朝時代時代
1998年(平成10年)9月30日登録[5]

交通

周辺情報

出典

[脚注の使い方]
  1. ^ 天坊幸彦 「三島郡の史跡と名勝」(1961)(大阪府学務部編『大阪府史蹟名勝天然記念物』 三島郡(1974)に収録 全国書誌番号:73009804
  2. ^ 府指定文化財(吹田市)
  3. ^ 府指定文化財(吹田市)
  4. ^ 市指定文化財(吹田市)
  5. ^ 市登録文化財(吹田市)



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