善応寺 (足立区興野)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 善応寺 (足立区興野)の意味・解説 

善応寺 (足立区興野)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/03 08:46 UTC 版)

善応寺
善応寺
所在地 東京都足立区興野2-20-5
位置 北緯35度46分8.0秒 東経139度46分45.4秒 / 北緯35.768889度 東経139.779278度 / 35.768889; 139.779278 (善応寺 (足立区興野))座標: 北緯35度46分8.0秒 東経139度46分45.4秒 / 北緯35.768889度 東経139.779278度 / 35.768889; 139.779278 (善応寺 (足立区興野))
山号 瑠璃山
宗派 真言宗豊山派
本尊 聖観世音菩薩
創建年 貞治2年(1363年
開山 寛朝上人
公式サイト 善応寺 公式サイト
法人番号 6011805000153
テンプレートを表示

善應寺(ぜんのうじ)とは、東京都足立区興野2-20-5にある真言宗豊山派の寺院。山号は瑠璃山[1]

沿革

武蔵国足立郡奥野村(現・興野町)に建立されたのは、後村上天皇1363年(貞治2年)と伝えられている。もと吉祥院末だった[1]が1939年10月長谷寺の直末となった。 1945年4月太平洋戦争の戦火拡大に伴い類焼の難に遭遇するも、1950年7月、三間四方の木造の本堂を再建する。現在の本堂は、1965年寺檀ともどもに勇健の気運起り、鉄筋コンクリート造りにより建立された。

本尊は聖観世音菩薩、両座に弘法大師興教大師を安置する。旧本堂は大師堂跡に移築され薬師堂と称し、本尊薬師如来は行基作と伝えられる。両脇を1983年修復の十二神将が護る。 境内には、1634年(寛永11年)建立を含む六地蔵、1651年(慶安4年)の大日如来石像、1861年文久元年作の四国八十八ヵ所の各本尊を模刻した石仏が並ぶ。その他、1816年(文化13年)の石像不動明王を祀る不動堂、宗祖弘法大師1150年御遠忌記念の修行大師像も建立、荒川道八十八ヵ所の第36番の札所。

交通アクセス

脚注

参考文献

関連項目

外部リンク




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「善応寺 (足立区興野)」の関連用語

善応寺 (足立区興野)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



善応寺 (足立区興野)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの善応寺 (足立区興野) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS