善応寺 (高山市)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 善応寺 (高山市)の意味・解説 

善応寺 (高山市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/08 18:54 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
善応寺
所在地 岐阜県高山市宗猷寺町177
位置 北緯36度08分32.0秒 東経137度15分59.2秒 / 北緯36.142222度 東経137.266444度 / 36.142222; 137.266444座標: 北緯36度08分32.0秒 東経137度15分59.2秒 / 北緯36.142222度 東経137.266444度 / 36.142222; 137.266444
山号 宝樹山
宗派 曹洞宗
本尊 如意輪観音菩薩
創建年 永禄元年(1558年)
開基 三木自綱
中興 金森重頼
札所等 飛騨三十三観音霊場5番
法人番号 4200005009905
善応寺
善応寺 (岐阜県)
テンプレートを表示

宝樹山善応寺(ぜんのうじ)は岐阜県高山市にある曹洞宗の寺院。高山市市街地の東側にある東山寺院群に含まれる寺院の一つで、飛騨三十三観音霊場の5番札所である。

歴史

三木自綱が松倉城築城の際に、その護りとして天竺伝来の如意輪観音像を本尊として開創した。創建当初は天台宗寺院で、三木氏の菩提寺として保護されていたが松倉城落城と共に兵火にかかり焼け落ちた。その際本尊の如意輪観音像が運び出されて新たに堂宇を設けて祀られた。その後素玄寺に移された後、寛永3年(1626年)に金森重頼を中興開基、素玄寺2世格翁門越を中興開山として曹洞宗の善応寺として再興された。天保6年(1835年)に現在地に寺基を移すが、大正8年(1919年)に焼失した。現在の本堂は大正14年(1925年)に建てられたものである。

関連資料

  • 高山市教育委員会編『高山市埋蔵文化財調査報告書 善応寺遺跡』高山市教育委員会
  • 平田欽逸『月鏡庵納骨記念堂・無縁塔・善応寺遊園地竣工記念』平田研究所



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「善応寺 (高山市)」の関連用語

善応寺 (高山市)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



善応寺 (高山市)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの善応寺 (高山市) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS