和豊永
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/04 17:34 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動和 豊永(やまと の とよなが)は、平安時代初期から前期にかけての貴族。姓は朝臣。官位は従五位上・上総介。
経歴
仁明朝初頭に内舎人を務め、承和4年(837年)従五位下に叙爵する。
その後しばらく叙位任官の記録がなく、文徳朝の斉衡2年(855年)になって従五位上・上総介に叙任されている。貞観2年(860年)上総介の任期を終えて後任の伴竜男に交替する。しかし、交替の際に官物が多く欠けていたとの理由で、豊永は竜男に禁固されてしまう。豊永は冤罪を訴えるが、貞観4年(862年)3月になって訴えが認められ、太政官は竜男に対して禁固をやめさせ、ようやく豊永は解放された[1]。
官歴
『六国史』による。
脚注
- ^ 『日本三代実録』貞観4年3月19日条
参考文献
- 和豊永のページへのリンク