呉国太
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/07/31 20:31 UTC 版)
呉国太(ごこくたい)は、小説『三国志演義』に登場する架空の女性[1]。
概略
『三国志演義』第7回から登場する。姉の呉夫人と一緒に孫堅に嫁ぎ、孫堅の側妻になって、孫朗と孫仁(後の孫夫人)を産む。
呉夫人の死後、孫権は呉国太に生母のように孝行した。曹操の大軍が南下すると、呉国太は孫権に「亡き兄上(孫策)は内のことは張昭、外のことは周瑜に聞けと言い残したではありませんか」と助言する。孫権は周瑜の策を用い、孫仁を劉備に嫁がせ、隙を見て殺す策を立てる。呉国太は初め、娘と劉備の結婚に反対するが、劉備に会うと態度を変え、自分の娘婿にふさわしい人物と思い直すようになる。結婚後、劉備夫婦は長江のほとりへ先祖を祀りに行きたいと願い出て、呉氏は同意するが、劉備はすきを見て、孫夫人と共に逃げ出す。こうして孫権と周瑜の計略は失敗した。
孫権が荊州攻略を準備した際、呉氏は娘を劉備のもとから呼び戻すよう求める。そこで、孫夫人の旧臣である周善が派遣され、孫夫人は帰郷する。その後は呉氏の登場はない。
人物の原型
正史『三国志』では、呉夫人の妹であるという孫堅の側妻は存在しない。孫朗(別名は孫仁)は孫堅の庶子で、生母の身分が低かった。呉国太は、呉夫人と孫堅の妾との2人を参考に創作されたと考えられる。
一方、正史では孫夫人の実母の身分に関して言及がなく、孫夫人は嫡出子であった可能性がある。
脚注
呉国太
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「三国志 (横山光輝の漫画)」の記事における「呉国太」の解説
孫堅の妻で、孫策、孫権、孫夫人の母親。夫に劣らぬ気丈な女性。年の差があり過ぎる玄徳と娘の婚姻に当初は難色を示していたが、玄徳の人柄を大いに気に入ってしまい結婚を認める。これにより周瑜の策は裏目に出ることになり、暗殺の実行者となるはずだった賈華も計画が露見して呉国太の命で斬り捨てられそうになったが、玄徳と孫権の制止で命拾いする。
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