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名倉次

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/10/04 03:00 UTC 版)

名倉 次(なぐら やどる、1858年安政5年)7月12日[1][2]) - 1940年昭和15年)4月29日[2])は、日本の政治家衆議院議員(1期)。

民俗学者の太田陸郎は六男。社会運動家政治活動家東郷健は孫にあたる。

経歴

播磨国飾西郡(のち兵庫県飾磨郡置塩村夢前町、現・姫路市)の旧家(農家)に生まれる[1]1878年神戸師範学校[2]。同窓に松岡鼎がいる。兵庫県会議員、同常置委員、県農会副会長となる[1][2]

1894年3月の第3回衆議院議員総選挙において兵庫7区から立憲改進党から立候補して当選した[3]1894年9月の第4回衆議院議員総選挙で再選した[4]。衆議院議員を2期務め、1898年3月の第5回衆議院議員総選挙では進歩党から立候補したが落選した[5]1898年8月の第6回衆議院議員総選挙では憲政本党から出馬したが落選した[6]。1940年に死去した。

家族

  • 長男 ‐ 奉天会戦で戦死[7]
  • 五男・東郷伍郎(1894-) ‐ 兵庫県会議員。子に東郷健
  • 六男・太田陸郎(1896-1942) ‐ 陸軍大尉、民俗学者。兵庫県立姫路中学校を経て同志社大学政治経済部に進学、1921年同大法学部経済科卒。大阪商船系列の「富島組」入社、志願兵として1年ほど入隊するも健康を害して帰郷、1923年網干町の貝ボタン製造業・太田勝治[8]の養嗣子となり、翌年より兵庫県職員、1938年陸軍少尉として召集され武漢作戦に参加、中尉となり南方戦線に志願転出、帰任途中台湾上空で遭難。県庁時代から兵庫の民俗学研究に貢献し、柳田国男らとも親交、著書に『支那習俗』などがある。[9][10]

脚注

  1. ^ a b c 衆議院 編『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』衆議院事務局、1940年、309頁。NDLJP:1278238 
  2. ^ a b c d 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』435頁。
  3. ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』16頁。
  4. ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』22頁。
  5. ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』27頁。
  6. ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』32頁。
  7. ^ 支那習俗太田陸郎、三国書房、1943、p151
  8. ^ 大阪を中心とせる近県電話帳 大正12年用人事興信所、1924、p555
  9. ^ 一九三〇、四〇年代の日本民俗学と中国、王京、神奈川大学大学院歴史民俗資料学研究科、2008年3月31日
  10. ^ 太田陸郎君のこと柳田国男「故郷七十年」神戸新聞社、1958(昭和33)年1月9日~9月14日

参考文献

  • 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』衆議院事務局、1940年。
  • 日本国政調査会編『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』国政出版室、1977年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。



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