吉川村 (広島県世羅郡)とは? わかりやすく解説

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吉川村 (広島県世羅郡)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/14 03:15 UTC 版)

よしかわむら
吉川村
廃止日 1955年3月31日
廃止理由 分割新設編入合併
小国村津久志村(一部)、津名村(一部)、吉川村(一部)→ 世羅西町
吉川村(一部)、上山村(一部) → 豊田郡豊栄町
現在の自治体 世羅町東広島市
廃止時点のデータ
日本
地方 中国地方山陽地方
都道府県 広島県
世羅郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
総人口 3,329
国勢調査、1950年)
隣接自治体 上山村、津名村、小国村、神田村、豊田郡豊栄町
吉川村役場
所在地 広島県世羅郡吉川村大字吉原
座標 北緯34度36分11秒 東経132度51分45秒 / 北緯34.60303度 東経132.86253度 / 34.60303; 132.86253 (吉川村)座標: 北緯34度36分11秒 東経132度51分45秒 / 北緯34.60303度 東経132.86253度 / 34.60303; 132.86253 (吉川村)
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吉川村(よしかわむら[1][2])は、広島県世羅郡にあった。現在の世羅郡世羅町東広島市の一部にあたる。

地理

  • 河川:津口川(美波羅川)[2]

歴史

  • 1889年(明治22年)4月1日、町村制の施行により、世羅郡吉原村、中村、黒川村が合併して村制施行し、吉川村が発足[1][2]。旧村名を継承した吉原、中、黒川の3大字を編成[2]
  • 1890年(明治23年)甲山警察署(現世羅警察署)巡査駐在所開設[2]
  • 1907年(明治40年)吉川産業組合設立[2]
  • 1926年(大正13年)備後世羅畳表組合吉川村支部設立[2]
  • 1940年(昭和15年)
    • 7月1日、世羅郡上山村大字上壱の一部を編入[1]
    • 7月12日、大字黒川の一部を世羅郡上山村に編入[1]
  • 1955年(昭和30年)3月31日、吉川村を二分割し、大字中・黒川と吉原の一部は世羅郡小国村、津久志村(一部、大字山中福田)、津名村(一部、大字上津田・下津田・長田津)と合併し、町制施行して世羅西町を新設[2][1]。大字吉原の一部は豊田郡豊栄町に編入され、吉川村は廃止された。

地名の由来

合併村名の文字を組み合わせたもの[2]

産業

  • 農業、畳表[2]

教育

  • 1908年(明治41年)字枕木に吉川高等小学校校舎新築[2]。1910年(明治43年)吉川村農業補習学校併設[2]。1912年(明治45年)校舎が焼失し、1913年(大正2年)に再建した[2]

村長

脚注

  1. ^ a b c d e 『市町村名変遷辞典』841-842頁。
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m 『角川日本地名大辞典 34 広島県』531頁。

参考文献

関連項目




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