原田富士男とは? わかりやすく解説

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原田富士男

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/10/29 23:53 UTC 版)

原田 富士男(はらだ ふじお、1969年2月17日 -、旧姓:上田)は、福岡県出身の元競艇選手。養成62期、登録番号3360、身長163cm、血液型はA型。師匠は倉尾良一。ニックネームは「玄海のドーベルマン」。

来歴

1987年福岡県立水産高等学校を卒業、62期生として本栖訓練所に入所、1988年5月20日福岡競艇場でデビュー。初出走から2節目の同年6月4日福岡競艇場で水神祭。

1992年の7月の若松競艇場にて初優勝。

G1初参戦は1995年1月の丸亀競艇場・新鋭王座決定戦。SGへ初参戦は2000年10月の戸田競艇場・全日本選手権。

2001年2月大村競艇場・九州地区選手権でG1初優勝を達成。

2012年5月ボートレース若松・一般戦にて通算1,500勝を達成。[1]

2020年2月ボートレース唐津・G1第66回九州地区選手権の最終日6Rをもって引退を表明[2]。その後、同年4月よりボートレーサー養成所の実技教官に転身している[3][4]

G1優勝

人物・エピソード

  • 2002年1月より、競艇オフィシャルサイトのレーサー日記を(前任の田頭実から継いで)約1年間担当した。原田自身や他の選手の出来事やエピソードを楽しく綴り、艇界の田口壮と言わんばかりの文才があるところを見せた。
  • 元々は「上田富士男」であったが、1996年5月に結婚して原田姓に改姓。
  • 長男・才一郎(122期、登録番号5028)、次男・雄次(125期、登録番号5102)共に競艇選手となる。三男の栄士は料理人を目指し修行中である。特に才一郎は122期養成所チャンプで、2018年5月7日若松競艇場でのデビュー戦で1着となっている[5]

脚注

  1. ^ 登録第3360号 原田富士男選手(福岡)1,500勝達成 - BOAT RACE OFFICIAL WEBSITE
  2. ^ 51歳・原田富士男が引退表明西日本スポーツHP 2020年2月19日 2021年4月9日閲覧
  3. ^ 選手になってからの方がきつい理由は…国弘翔平選手日刊スポーツHP 石川純のDream情報局 2020年4月27日 2021年4月9日閲覧
  4. ^ ういちの浜名湖テッパン塾#37ボートレース浜名湖 2023年5月1日配信
  5. ^ 初出走・初1着で早くも父超え!原田才一郎選手”. 日刊スポーツ (2018年5月28日). 2020年5月23日閲覧。

関連項目

外部リンク




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