印西市立本埜第二小学校とは? わかりやすく解説

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印西市立本埜第二小学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/11/21 22:54 UTC 版)

印西市立本埜第二小学校
北緯35度49分38.72秒 東経140度12分52.98秒 / 北緯35.8274222度 東経140.2147167度 / 35.8274222; 140.2147167座標: 北緯35度49分38.72秒 東経140度12分52.98秒 / 北緯35.8274222度 東経140.2147167度 / 35.8274222; 140.2147167
国公私立の別 公立学校
設置者 印西市
設立年月日 1873年
閉校年月日 2019年
共学・別学 男女共学
学期 3学期制
所在地 270-2322
千葉県印西市笠神1745
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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印西市立本埜第二小学校(いんざいしりつ もとのだいにしょうがっこう)は、かつて千葉県印西市笠神にあった公立小学校

概要

学校の周辺は印旛沼の水を利用した稲作が盛んな田園地帯である。冬になると近くの田んぼに1000羽をこえる白鳥が飛来する[1]

沿革

(この節の出典[2]

  • 1873年(明治6年)3月 - 監新田の蜜蔵院を仮校舎に定め、将監小学校が創立。児童50名、教師1名。
  • 1891年(明治24年)12月 - 埜原村松木新田20番地に校舎を新築。村立埜原尋常小学校と改称。
  • 1912年(大正2年)4月 - 埜原村と本郷村が合併し、本埜村が発足したのにともない、本埜村立本埜尋常小学校と改称。(児童数141名)
  • 1922年(大正11年)12月 - 笠神1745番地に新校舎建築起工式。(児童数161名)
  • 1923年(大正12年)5月 - 現在地に校舎を新築、移転。
  • 1941年(昭和16年)4月 - 本埜村立本埜第二国民学校と改称。
  • 1947年(昭和22年)4月 - 本埜村立本埜第二小学校と改称。(児童数332名)
  • 2010年(平成22年)3月 - 本埜村が印旛村とともに印西市に編入したのにともない、印西市立本埜第二小学校と改称。
  • 2019年(平成31年)3月 - 本埜第一小学校と統合し本埜小学校が開校したのにともない、閉校。

学区

笠神の一部、1区の一部、2区、3区、和、4区、5区、6区、7区[3]

進学

脚注

  1. ^ 印西市立本埜第二小学校、2013-07-03閲覧。
  2. ^ 沿革 - 本埜第二小学校。2020年4月13日閲覧。
  3. ^ 印西市立小・中学校の通学区域、2013-07-03閲覧。

関連項目

外部リンク




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