印東氏館跡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/19 15:18 UTC 版)
千葉県山武市成東は上総国山辺庄成東郷と呼ばれ、安貞元年(1227年)には印東四郎師常(南郷師常)の領地となり、四郎入道によって(鳴戸)成東城が築造されたと伝わる。現在の成東城公園には「印東氏累代の城」の看板がある。また、千葉県成田市長沼の長沼城跡は『異伝によれば、印東別当常閑、印東太郎師常(鏑木本千葉系図)、長沼淡路前司(東鑑三十五)、大野修理(常総軍記)の城砦とも記す』とある。
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