南陽慧忠とは? わかりやすく解説

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南陽慧忠

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/16 13:29 UTC 版)

南陽慧忠
上元2年 - 大暦10年12月19日
675年 - 776年1月14日
諡号 大証禅師
生地 越州諸曁県
宗派 禅宗
寺院 南陽白崖山香厳寺
慧能
弟子 耽源
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南陽慧忠(なんよう えちゅう)は、中国代の禅僧大証禅師。俗姓は冉、名は虎茵。越州諸曁県の出身。禅宗の六祖慧能の直弟子である。粛宗代宗と2代の皇帝の参禅の師となり、慧忠国師と称せられた。

生涯

幼い頃から仏法を学び経典に堪能だった。16歳の時、慧能の門下に入り、悟りを得た。慧能の入寂後は五嶺・四明山・天目山などを歴遊して参学し、南陽白崖山の党子谷に庵を結び40年の間隠棲した。上元2年(761年)、粛宗の勅命により長安に上り、宮廷において教えを授けた。大暦10年12月19日776年1月14日)、入寂。代宗は国師号を贈った。

中国では単に国師といえば、ほとんどの場合慧忠のことを指すといわれる[1]

公案

「無門関」第17則

國師三喚侍者。侍者三應。國師云、將謂吾辜負汝、元來却是汝辜負吾。

「碧巖録」第18則

挙。粛宗皇帝問忠国師、百年後所須何物。国師云、与老僧作箇無縫塔。帝曰、請師塔様。国師良久云、会麼。帝云、不会。国師云、吾有付法弟子耽源、却諳此事。請詔問之。国師遷化後、帝詔耽源問、此意如何。源云、湘之南、潭之北。

脚注

  1. ^ 芳賀 1996, p. 62.

関連項目




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