南蔵院 (葛飾区立石)とは? わかりやすく解説

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南蔵院 (葛飾区立石)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/12/20 05:21 UTC 版)

南蔵院
所在地 東京都葛飾区立石8-40-25
位置 北緯35度44分21.1秒 東経139度51分25.9秒 / 北緯35.739194度 東経139.857194度 / 35.739194; 139.857194 (南蔵院 (葛飾区立石))座標: 北緯35度44分21.1秒 東経139度51分25.9秒 / 北緯35.739194度 東経139.857194度 / 35.739194; 139.857194 (南蔵院 (葛飾区立石))
山号 五方山[1]
院号 南蔵院
宗派 真言宗豊山派
本尊 大日如来[1]
創建年 長保年間(999年-1004年
中興 賢寛(寛永9年(1632年)寂)[1]
別称 寺号:立石寺[1]
札所等 南葛八十八ヶ所霊場37番札所、荒綾八十八ヶ所霊場4番札所
法人番号 9011805000506
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南蔵院(なんぞういん)は、東京都葛飾区にある真言宗豊山派寺院

歴史

長保年間(999年-1004年)に開山された。熊野権現(現熊野神社)を勧請した際に、別当寺として創建された[2]

江戸時代徳川将軍鷹狩のために江戸郊外のこの地を度々訪れており、当寺は「御膳所」(休憩場所)に充てられた[2]

延享3年(1746年)の銘が入った梵鐘があった[1]が、戦時中の金属類回収令によって供出され、現存しない[2]

当寺には、板碑が数基保存されている[2]。また、この寺の裏にはかつて南蔵院裏古墳と呼ばれる6世紀後半ごろの古墳があって、埴輪などが出土している[3]

交通アクセス

脚注

  1. ^ a b c d e 新編武蔵風土記稿 立石村.
  2. ^ a b c d 葛飾区教育委員会社会教育課 編『葛飾区寺院調査報告 下』葛飾区教育委員会、1980年、8-9p
  3. ^ 入本英太郎、橋本直子 著『葛飾区史跡散歩 (東京史跡ガイド22)』学生社、1993年、34-35p

参考文献

  • 葛飾区教育委員会社会教育課 編『葛飾区寺院調査報告 下』葛飾区教育委員会、1980年
  • 入本英太郎、橋本直子 著『葛飾区史跡散歩 (東京史跡ガイド22)』学生社、1993年
  • 「立石村 南蔵院」『新編武蔵風土記稿』 巻ノ23葛飾郡ノ4、内務省地理局、1884年6月。NDLJP:763978/92 

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