半太夫もの、繁太夫もの
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/01 05:49 UTC 版)
半太夫は上方で吾妻浄瑠璃として行われた座敷浄瑠璃。繁太夫は宮古路豊後掾の弟子宮古路繁太夫 (寛保の末頃豊美と改姓) が大坂で創始した浄瑠璃。半太夫ものや繁太夫ものは地歌の前にあった半太夫や繁太夫という曲の筋を引いている地歌。「歌舞伎」という名称は明治に作られたもので、元々は芝居と言われていた。芝居の中で使われたものが多いので半太夫ものや繁太夫ものは「芝居もの」とも呼ばれる。「千鳥」「髪漉き」などがある。
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