浪岡具統
時代 | 戦国時代 |
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生誕 | 永正6年(1509年) |
死没 | 不詳 |
別名 | 浪岡御所 |
官位 | 従五位下、弾正少弼、侍従 |
氏族 | 浪岡氏 |
父母 | 父:浪岡具永 |
兄弟 | 具統、具信 |
子 | 具運、顕範 |
浪岡 具統(なみおか ともむね)は、戦国時代の武将。陸奥国の名族浪岡氏の第8代当主。
生涯
父具永の代に築かれた基礎をもとに勢力を拡大し、浪岡氏の最盛期をもたらした。しかし寺社修復などの文化面に力を入れたことで財政面で困窮を招き、浪岡氏の衰退の遠因も作ったという。
没年について
天文21年10月3日(1552年10月20日)[1]に死去されたとしてきた。 平成23年『補略』と総称される公家名簿の史料郡が学会に相次いで紹介され、父・具永、子・具運が死没されたとした年以降も生存を認識されており、河原御所の乱で殺害されたのは補略に記載がない浪岡具統である可能性が高いとしている。[2]
系譜
脚注
- ^ 『青森県史』
- ^ 赤坂恒明 「最北に栄えた”南朝北畠系”の堂上公家」(日本史史料研究会 監修、神田裕理 編、『ここまでわかった 戦国時代の天皇と公家衆たち―天皇制度は存亡の危機だったのか』 P270、273
参考文献
- 赤坂恒明 最北に栄えた”南朝北畠系”の堂上公家(日本史史料研究会 監修、神田裕理 編、『ここまでわかった 戦国時代の天皇と公家衆たち―天皇制度は存亡の危機だったのか』(洋泉社、2015年)ISBN 978-4800308122
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