劉子房とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 劉子房の意味・解説 

劉子房

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/08 15:19 UTC 版)

劉子房(りゅう しぼう、孝建3年(456年)- 泰始2年10月1日466年10月25日))は、南朝宋皇族。松滋侯。孝武帝劉駿の六男。は孝良。

経歴

孝武帝と何淑儀のあいだの子として生まれた。大明4年(460年)1月、尋陽王に封じられた。冠軍将軍・淮南宣城二郡太守に任じられた。大明5年(461年)9月、南豫州刺史淮南郡太守に転じた。大明6年(462年)、宣城郡太守を兼ねた。大明7年(463年)、右将軍の号を受けた。永光元年(465年)1月、東揚州刺史に転じた。同年(景和元年)、東揚州刺史から退き、都督会稽東陽新安臨海永嘉五郡諸軍事・会稽郡太守となった。

同年(泰始元年)12月、明帝が即位すると、子房は督から都督に改められ、安東将軍の号を受けた。泰始2年(466年)1月、撫軍将軍・太常に任じられたが、長史の孔覬が命を拒否し、晋安王劉子勛に呼応して挙兵した。劉子勛が帝を称すると、子房は車騎将軍開府儀同三司の位を受けた。3月、明帝の派遣した巴陵王劉休若らの東征軍に敗れ、孔覬は上虞県令の王晏に殺害された。子房も捕らえられ、建康に送られ、松滋県侯に降封された。10月、永嘉王劉子仁・始安王劉子真らとともに殺害された。

伝記資料

  • 宋書』巻80 列伝第40
  • 南史』巻14 列伝第4



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「劉子房」の関連用語

劉子房のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



劉子房のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの劉子房 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS