内田登一
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内田 登一(うちだ とういち, 1898年1月15日-1974年8月17日)は、日本の昆虫学者[1][2]。北海道大学名誉教授[1]。専門はヒメバチ類の分類[1][3]。農林害虫に関する論文も多数著し、昆虫生態学の研究をすすめ、指導的役割を果たした[3]。
生涯
1918年(大正7)北海道帝国大学予科に入学し[4]、その後松村松年教授に師事、昆虫学を学ぶ[1][2]。1924年(大正13)3月、北海道帝国大学農学部農業生物学科を卒業し、4月より同大学農学部助手となる。1930年(昭和5)5月、同大学農学部助教授となり、9月に農学の博士号を取得した。1935年には動物学昆虫学養蚕学の講座を担当している[5]。同年と翌1936年の夏季には、中国東北部(旧満州)へ出張する。1937年から1939年まで、ドイツほか欧米へ留学し、1939年には北海道帝国大学農学部教授となり、農学部昆虫学講座を担当する[2]。
1958年1月、日本昆虫学会会長に就任[6][2]。同年3月、北海道大学農学部長となる[7][8][9]。1959年秋にアメリカへ出張した[1]。1961年4月、北海道大学を定年退官し、名誉教授となる[9]。
1968年3月、埼玉県公安委員会委員となり、翌1969年に委員長となる[1]。1970年4月、日本応用動物昆虫学会名誉会員となる[1]。同年11月、勲二等旭日重光章を受章する[1]。
1974年8月17日、心不全により埼玉県熊谷市の病院にて76歳で没した[2]。従三位を追贈された[2]。
業績
内田は膜翅目ヒメバチ科の分類学的研究を専門とし、知見が貧弱であった時期にパイオニアとして研究を進めた[2]。日本、台湾、中国本土などから1000種以上のヒメバチを記録し、100本以上の論文を発表した[2]。
林野庁、北海道庁の委嘱を受け、戦中戦後の荒廃した森林の回復と保護に尽力した[2]。害虫防除、各種森林の保護育成などの面でも多数の業績を残した[2]。
戦争中も衛生昆虫学や害虫防除の研究は進んでいたが、分類など純粋昆虫学は進歩が阻まれていた[10]。内田は戦後1946年に昆虫学の研究誌『松虫』[11]を、渡辺千尚、高橋弘、福島正三と共に創刊し、研究者に発表の場を提供した[10]。この研究誌は松村松年が創刊した英文学術誌『Insecta matsumurana』[12]の休刊を補うもので[11]、同誌が1949年7月に復刊するまで『松虫』は刊行された[注釈 1][13][14]。
人物
教え子の小西正泰によると、内田は親分肌の野人で、自分の教え子だけでなく学外の人物の面倒もよくみており、「トウチャン」と呼ばれ慕われていた[1]。大学運営面でも実力を評価され、労働組合からの信望も厚かった[1]。教育者として学生の私生活は厳しく律していたが、論文指導では学生の意向を尊重し、多くの逸材を育てた[1]。北大在職中はテニス部の部長を10年以上つとめた[2]。1970年に受章した勲二等旭日重光章は、内田の「長年にわたる子弟の教育に顕著な功績があった」ことによる[2]。内田はドイツ語に堪能で、180編ほどの論文の大半はドイツ語であった[1]。趣味は狩猟で、晩年は出身地の埼玉県で公安委員長として活躍し、余暇には狩猟を楽しんでいた[1]。
1946年に創刊した研究誌『松虫』の創刊号には、恩師松村松年が巻頭言を寄せ[15]、1949年の恩師喜寿に際しては、内田が祝辞を掲載している[16]。
著作
- 円山の昆虫 (共著). [出版社, 出版年不明] CiNii
- Catalogue of Japanese insects = 日本産昆蟲目録. 昆蟲趣味の會, 1933.12 CiNii
- 土蜂科. 三省堂, 1936.10 CiNii
- 馬鈴薯の害蟲. 柏葉書院, 1947.5 CiNii
- 生物と狩猟 (柏葉叢書). 柏葉書院, 1947.7 ndl
- 季節の科學 (共著). 北方書院, 1948.8(昆虫の越冬 / 内田登一 [執筆])CiNii
- 作物ヴァイラス病 . 農業昆蟲分類學 . 作物分類學汎論 . 作物環境學 (共著). 柏葉書院, 1949.5 CiNii
- 猟 (林業解説シリーズ ; 第26). 日本林業技術協会, 1950.6. ndl
- 苗畑の害虫. 北海道野鼠防除協会, 1951.6 CiNii
- 甜菜 : 栽培と管理 (共著). 博友社, 1959.9 (虫害 / 内田登一 [執筆]) (CiNii
雑誌論文
- 本邦産姫蜂亞科のJoppini族の分類學的研究. 動物学雑誌 37(444), 1925-10-15, p443-457 [1], [2]
- 樺太産マルハナバチヤドリ屬の一種に就て. 動物学雑誌 38(452), 1926-06-15, p151-155 [3], [4]
- 本邦産胸細蜂科Bethylidaeに就て. 動物学雑誌 38(453), 1926-07-15, p181-186 [5], [6]
- 變日本產姫蜂科の新種及新變種(第七圖版). 札幌博物学会会報 9(2), 1927-10-15, p193-216 [7]
- 姫蜂科の一新屬. 札幌博物学会会報 10(2), 1929-02-18, p116-118 [8]
- 伊豆大嶋の姫蜂相に就て. 札幌博物学会会報 11(2), 1930-05-25, p78-88 [9]
- 數種の本邦產アメバチの記載. 札幌博物学会会報 12(2-3), 1932-07-10, p73-78 [10]
- 本邦產セダカヤセ蜂科に就て. 札幌博物学会会報 12(4), 1932-12-31, p189-193 [11]
- ヨツボシクサカゲロウの一新寄生蜂. 昆蟲 7(4), 1933-10-24, p167-169 [12]
- 本邦産土蜂の和名に就て. 昆蟲 8(1), 1934-03-15 p7-16 [13]
- Eine neue Gattung und eine neue Art der Unterfamilie Metopiinae (HYM. ICHNEUM.). 札幌博物学会会報 13(3), 1934-06-20, p275-277 [14]
- 今夏北海道に發生せる主なる害蟲の概況. 昆蟲 10(1), 1936-02-26, p37-39 [15]
- 滿洲に於けるダイヅシングヒガ Grapholitha glycinivorella MATSUMURA の生活史(豫報) (岡田一次と共著). 昆蟲 11(5), 1937-09-20, p331-343 [16]
- 日本産Tryphonnae 族の分類學的研究. 札幌博物学会会報 16(3), 1940-07-05, p175-180 [17]
- 日本産姫蜂科のクリーチバヲメル氏のタイプ. 札幌博物学会会報 16(4), 1941-01-20, p227-230 [18]
- ナガチヤコガネの生態學的研究 (中島敏夫と共著). 北海道大學農學部 演習林研究報告 14(1), 1948-03, p101-138 [19]
- ヤチダモを加害する Argopistes 屬のハムシに就いて(第10回大會號). 昆蟲 18(6), 1950-12-30, p154-155 [20]
- BHC及びDDTによる2種の森林害虫の防除. 農薬と病虫 5(1), 1951-01, p31-32 [21]
- 64. 北海道トムラウシ開拓地に於ける害虫相の推移について(日本應用昆蟲學會・應用動物學會合同大會講演要旨) (渡邊千尚と共著). 1952-04-01, p8 [22]
- ヨトウガの休眠誘導に対する高温後の低温処理の影響-ヨトウガの休眠に関する研究-1- (正木進三と共著). 応用昆虫 8(4), 1953-03, p129-134 [23]
- 新開拓地の昆蟲相の研究 特に害蟲の推移に就て : Ⅱ. トムラウシの開拓地に於ける害蟲調査 (渡邊千尚と共著). 北海道大學農學部邦文紀要 1(3), 1953-03-05, p345-348 [24]
- 森林内における昆虫 population に關する生態學的研究 (富岡暢と共著). 北海道大學農學部邦文紀要 2(1), 1954-09-25, p96-111 [25]
- ヨトウガの休眠誘導に對する光週効果 : (ヨトウガの休眠に關する研究 Ⅱ)(正木進三と共著). 北海道大學農學部邦文紀要 2(1), 1954-09-25, p85-95 [26]
- 4. ヨトウガおよびモンシロチョウの蛹の休眠消去と温度との関係(昭和30年度日本農学会大会分科会) (正木進三と共著). 1955-04-09, p1 [27]
- 蝶類に寄生する姫蜂. 新昆虫 8(5), 1955-05 [28]
- 96. 風倒木に対する薬剤航空散布についての二,三の知見(昭和31年度日本農学会大会専門部会) (中島敏夫と共著). 應用動物學會・日本應用昆蟲學會合同大會講演要旨, 1956-04-10, p18 [29]
- ブナの喰材性害虫に関する研究 (第1報)(梅谷献二, 奧俊夫と共著). 北海道大學農學部邦文紀要 2(4), 1956-11-18, p110-117 [30]
- 43 ブナの喰材性害虫に関する研究 (第2報)(昭和32年度日本農学会大会分科会) (中島敏夫, 梅谷献二と共著). 日本応用動物昆虫学会大会講演要旨, 1957-03-29 [31]
- 北海道の風倒木地帯に於けるヤツバキクイIps typographus LINNEの異常発生に関する2・3の考察 (中島敏夫と共著). 北海道大學農學部 演習林研究報告 21(1), 1961-03, p149-168 [32]
脚注
注釈
- ^ 1926年創刊の『Insecta matsumurana』は、1942年12月の第16巻3-4合併号で休刊し、第17巻第1号は1949年7月に刊行されている。
脚注
- ^ a b c d e f g h i j k l m n 小西正泰 (1974-12-25). “内田登一先生をしのんで”. 昆蟲 42 (4): 482-483 .
- ^ a b c d e f g h i j k l 中島敏夫 (1974-12). “内田登一先生のせい去をいたむ”. 日本応用動物昆虫学会誌 18 (4): 201-202 .
- ^ a b 『北大百年史 部局史』ぎょうせい、1980年3月、915頁 。
- ^ 『北海道帝国大学一覧 自大正7年至8年』北海道帝国大学、1918年12月、163頁 。
- ^ 『北大百年史 部局史』ぎょうせい、1006頁 。
- ^ “日本昆虫学会の歴史(学会長・大会長)”. 日本昆虫学会. 2025年6月11日閲覧。
- ^ 『北大百年史 部局史』ぎょうせい、1980年3月、910-911頁 。
- ^ 『北大百年史 部局史』ぎょうせい、991頁 。
- ^ a b 『北大百年史 部局史』ぎょうせい、1980年3月、1010-1011頁 。
- ^ a b 内田登一 (1946-09). “創刊の言葉”. 松虫 1 (1): 2 .
- ^ a b 北海道帝国大学農学部昆虫学教室インセクタ・マツムラナ『松虫』北方出版社、1946年 。
- ^ “HUSCAP Journals”. eprints.lib.hokudai.ac.jp. 2025年6月15日閲覧。
- ^ 池田秀男 (1948-11). “出版社だより”. 松虫 3 (2): 巻末 .
- ^ “出版社だより”. 松虫 3 (3): 巻末. (1949-03) .
- ^ 松村松年 (1946-09). “巻頭言:創刊に際して”. 松虫 1 (1): 1 .
- ^ 内田登一 (1949-03). “松村松年先生の喜寿を祝して”. 松虫 3 (3): 65-66 .
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