内海彰乃とは? わかりやすく解説

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内海彰乃

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/29 21:39 UTC 版)

内海 彰乃(うつみ あきのり、1975年4月11日[1]- )は、兵庫県[1]神戸市出身のD1グランプリに参戦するレーサー。血液型はB型[1]

コーナーにおける高速の飛び込みと進入角度で『関西(神戸)の暴れん坊』の異名を持つ。愛称はうっちー[1]

兵庫県西宮市で、中古車販売店及びチューニングカーショップ カープロデュース ブルーフェイスを経営。

略歴

D1グランプリには初年度から参戦。初年度から2006年まではC-WESTのサポートを受け「TEAM DRFT」として、S15シルビアワンビアFD3S RX-7で参戦した。タイヤはヨコハマを使用した。

ワンビアからRX-7に乗り換えた2004年は成長株と目されていたが、RX-7に乗りなれていないことと、コーナーに進入した後の抑えが苦手だったことで低迷。第5戦お台場では追走準決勝まで進出したものの、日米オールスター戦では1回戦落ちした。

2005年は幾度か予選通過があった程度で、2006年に入ると完全にスランプとなり、D1ライセンス失効寸前にまで陥った。しかし、不動産店であるベネロップNKBのサポートを受け、NKBカラーのワンビアにて参戦した2007年には、第4戦のSUGOにて7位入賞を果たし、更に第5戦のエビス南では黒井敦史熊久保信重・小師賢作といったライバル勢を倒し、決勝戦でも野村謙との激しいサドンデスの末に準優勝を勝ち取り復活をアピールした。

2008年・2009年は「FREAK・INSIDE」としてワンビアで参戦。

2010年は、バイク大手部品メーカー・KN企画のRC部門・RC926と合同のD1GPチームを結成し「RC926@inside」として参戦した。この年よりマシンをS15シルビアに変更している。

2011年にはヨコハマからトーヨーへ使用タイヤメーカーを変更し、その後2015年まで「RC926 with TOYO TIRES」として参戦。シード選手をも圧倒する強さを見せる反面、ミスをすることも多く、最終戦では審判員長の神本寿から「それ(ミスの多さ)がシードになれない最大の原因」と指摘された。2013年に入り、トーヨーのタイヤの特性を熟知し、走り方を変える事で、自己最高成績となるシリーズランキング5位を獲得しシード選手となった。

2015年のD1グランプリでは単走シリーズ優勝、総合シリーズランキング6位、舞洲戦では単走優勝を果たしている。

2016年からは自動車部品メーカーのDIXCELがメインスポンサーとなり、「DIXCEL with TOYO TIRES」と名前も変わりチームカラーもベージュから白に一新し参戦している。2018年には最終戦お台場でD1グランプリ初優勝を果たした[2]

2019年より、TOYO TIREから5FIVEX TIREに使用タイヤを変更し「DIXCEL 5FIVEX TIRES D1 Racing」として参戦。

2020年にはGRスープラを投入予定であったが、結果的にはシーズンを通して昨年までと同じS15シルビアでの参戦となった。また、タイヤを5FIVEXからSAILUN TIREへ変更し、「SAILUN TIRES DIXCEL MOTORSPORT」として参戦。車輌も白・青・オレンジのサイルンカラーへと一新した。

2021年も引き続きS15シルビアにSAILUN TIREの組み合わせで参戦。同じく関西出身の田中省己と共に「TEAM SAILUN TIRE」として参戦。第3戦筑波では久しぶりに追走トーナメント決勝まで進み松井有紀夫と対戦することになったが、大会進行の遅れでサーキットの走行終了時刻を過ぎてしまったため単走の順位で勝者を決定することになり、結果単走で順位がより上であった内海が約3年ぶりの優勝を果たした[3]

2022年活動を休止し、2023年より活動の地にモンゴル🇲🇳を選び活動を再会。

モンゴルの最大級モータースポーツイベント Power EXPO festival ドリフト部門での単走優勝を果たしたが、追走ではベスト16でリタイアとなった。

2024年も引き続きモンゴル🇲🇳でのレース活動、Power EXPO festival では、中国D1 GP CDC勢がエントリーする中、トラブルを抱えた車でありながら、単走3位追走3位の成績を納めた。

同年 9月にはモンゴル🇲🇳最大ドリフトイベント チンギスカン カップでは、日本より自チームの車輌を持ち込み参戦。様々なアクシデントに見舞われながらも、単走優勝、追走での優勝も納めた。



人物

  • D1グランプリに初年度から参戦していることによる知識や経験の豊富さに加え、ノリのいいトーク、的確な素早い判断で、関西オールスターなど様々なドリフトイベントで審査員やMCに起用されている。
  • 普段は西宮市にある自動車販売店を経営している。
  • かつては神戸で有名な走り屋チーム「NIGHT ZONE」のリーダーであり、当時埠頭などで走り回っていた経験からD1GPにおいては路面状態が悪い特設コースを得意とし、好成績を残すことが多い。
  • 同時期、地上波 島田 紳助さんの「ウォンテッド」にドライバーとしてゲスト出演。
  • ダウンタウン 浜田 雅俊 さんの「浜ちゃんと。」にドライバーとしてゲスト出演。
  • ジャンクスポーツなどにも数回出演する。
  • TOYO TIRESのCMのドライバーなども務める。
  • 2013年の最終戦の準決勝で末永直登選手と対戦した際に、接触した衝撃でマフラー付近から出火しながらマシンが大きくジャンプした。それ以降「ファイヤー!」と叫ぶのがお決まりとなった。

脚注

  1. ^ a b c d 内海 彰乃 D1 OFFICIAL WEBSITE、2020年8月1日
  2. ^ D1GP Rd.8 Report D1 OFFICIAL WEBSITE、2021年11月29日閲覧
  3. ^ D1GP RD.3 筑波 詳細レポート D1 OFFICIAL WEBSITE、2021年6月27日
  4. ^ いか天 第61回 関西大会 ② 団体 & 個人決勝 あのチームが優勝 V-OPT 064 ③ VIDEO OPTION、2020年7月20日

外部リンク




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