兼田亜季重とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 兼田亜季重の意味・解説 

兼田亜季重

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/19 01:23 UTC 版)

兼田 亜季重
名前
カタカナ カネダ アキシゲ
ラテン文字 KANEDA Akishige
基本情報
国籍 日本
生年月日 (1990-02-26) 1990年2月26日(35歳)
出身地 広島県福山市
身長 184cm
体重 71kg
選手情報
ポジション GK
利き足 右足
ユース
2002-2007 サンフレッチェ広島
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2008-2013 愛媛FC 3 (0)
2014-2015 モンテディオ山形 3 (0)
2016-2017 アビスパ福岡 15 (0)
2018 大分トリニータ 0 (0)
通算 21 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

兼田 亜季重(かねだ あきしげ、1990年2月26日 - )は、広島県福山市出身の元プロサッカー選手。現役時代のポジションはゴールキーパー

来歴

広島県福山市の少年チームを経て2002年、サンフレッチェ広島ジュニアユースに入団する[1]。同級生に横竹翔がいる。2003年、ナイキプレミアカップジャパン優勝に貢献、決勝戦はPK戦となったが1本止めて勝利に貢献している。それにより出場権を得たマンチェスター・ユナイテッド・プレミアカップでは最終戦である順位決定戦1試合のみ出場している[2]

2005年、広島ユースに昇格[1]。同級生に横竹・内田健太・篠原聖・中野裕太。2006年高校2年時途中、1学年上で正GKを務めていた金山隼樹が怪我により欠場したことからレギュラーを掴み、Jユースカップ優勝に貢献した。2007年高校3年時はキャプテンとして活躍したが、正GKは1学年下の原裕太郎に奪われる結果となった。

2008年、J2愛媛FCに加入[1][3]。当時愛媛GKコーチの山中亮は、兼田が広島ジュニアユース時代の恩師であった[4]。のち笹原義巳に指導を受ける[3]。ただ川北裕介秋元陽太の前に控えGKに甘んじていた[3]

2014年、モンテディオ山形へ完全移籍[1][3]。再び笹原から指導を受けることになった。清水健太常澤聡に次ぐ第3GKという序列だったが、清水の負傷離脱後は浦和レッズから加入した山岸範宏の控えとしてベンチに入ることが多かった。

2016年、この年からJ1に昇格したアビスパ福岡へ完全移籍。ここでもイ・ボムヨン神山竜一の控えに回りベンチ外の試合が殆どであったが、J2降格決定後の最終節・柏レイソル戦で移籍後初出場。プロ9年目にしてJ1リーグ戦デビューを果たした。2017年は前年の福岡のJ2降格に伴い3年ぶりに同リーグでのプレーとなった。中盤戦に杉山力裕からポジションを奪取し自身のキャリアで最多の公式戦15試合に出場したが、終盤戦は控えに周りシーズン終了後に契約満了により退団[5]

2018年大分トリニータに移籍したが[6]、公式戦の出場及びベンチ入り機会は無かった。同年オフにはJFAの移籍リストに名前が掲載された[7]。 また同年12月12日、フクダ電子アリーナで行われたJリーグ合同トライアウトにも出場した[8]が、移籍先は見つからず2019年2月15日に大分より現役引退が発表された[9]

2024年 7月10日 午前4時半頃、札幌市豊平区羊ケ丘にあるトンネル内で酒気帯び運転の疑いで逮捕

所属クラブ

個人成績

国内大会個人成績
年度 クラブ 背番号 リーグ リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算
出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
日本 リーグ戦 リーグ杯 天皇杯 期間通算
2008 愛媛 35 J2 0 0 - 0 0 0 0
2009 0 0 - 0 0 0 0
2010 0 0 - 0 0 0 0
2011 21 2 0 - 1 0 3 0
2012 0 0 - 0 0 0 0
2013 1 0 - 1 0 2 0
2014 山形 16 3 0 - 0 0 3 0
2015 J1 0 0 0 0 1 0 1 0
2016 福岡 25 1 0 0 0 0 0 1 0
2017 J2 14 0 - 1 0 15 0
2018 大分 23 0 0 - 0 0 0 0
通算 日本 J1 1 0 0 0 1 0 2 0
日本 J2 20 0 - 3 0 23 0
総通算 21 0 0 0 4 0 25 0

タイトル

クラブ

アンダーカテゴリー
  • ナイキプレミアカップジャパン (2003年優勝)
  • Jユースカップ (2006年優勝)

代表歴

  • U-16日本代表候補 (2005年)
  • U-18日本代表候補 (2007年)

脚注

  1. ^ a b c d 兼田亜季重選手 愛媛FC より完全移籍加入のお知らせ”. J's GOAL (2013年12月23日). 2014年6月1日閲覧。
  2. ^ Manchester United Premier Cup World Finals 2003 順位決定戦(vsD.I.Medellin)試合結果”. J's GOAL (2003年7月22日). 2014年6月1日閲覧。
  3. ^ a b c d 【モンテ】新戦力[6]GK兼田亜季重 シュートに鋭く反応”. 山形新聞 (2014年2月4日). 2014年6月1日閲覧。
  4. ^ 【海外赴任レポート】 北マリアナ諸島 山中 亮さん”. 日本サッカー協会 (2011年11月). 2014年6月1日閲覧。
  5. ^ アビスパ福岡 契約満了選手のお知らせ』(プレスリリース)アビスパ福岡、2017年12月5日https://www.avispa.co.jp/news/post-149332017年12月29日閲覧 
  6. ^ 兼田亜季重選手 アビスパ福岡より完全移籍加入のお知らせ』(プレスリリース)大分トリニータ、2018年1月10日http://www.oita-trinita.co.jp/news/20180139161/2018年1月13日閲覧 
  7. ^ 移籍リスト”. 日本サッカー協会 (2019年1月29日). 2019年2月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年2月3日閲覧。
  8. ^ 2018 JPFAトライアウト”. sportsnavi (2018年12月12日). 2022年12月3日閲覧。
  9. ^ 兼田 亜季重選手 現役引退のお知らせ』(プレスリリース)大分トリニータ、2019年2月15日https://www.oita-trinita.co.jp/news/20190248827/2019年2月16日閲覧 

関連項目

外部リンク




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「兼田亜季重」の関連用語

兼田亜季重のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



兼田亜季重のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの兼田亜季重 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS