六尾反射炉跡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/10 06:26 UTC 版)
江戸時代末期、鳥取藩が瀬戸村の郷士武信左五衛門の分家の養子武信潤太郎(長崎・熊本で鉄砲等を学んだとされる)に命じ、この地に反射炉を築かせた。ここから造られた大砲は、自藩はもとより備前藩・浜田藩・萩藩等から注文を受け、送り出されていたといわれている。
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