兪応孚とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 兪応孚の意味・解説 

兪応孚

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/24 03:05 UTC 版)

兪応孚
各種表記
ハングル 유응부
漢字 兪應孚
発音: ユ・ウンブ
日本語読み: ゆ おうふ
ローマ字 Yu Eung-bu
テンプレートを表示

兪 応孚(ユ・ウンブ、ゆ おうふ、ハングル: 유응부、? - 1456年)は、李氏朝鮮前期の武臣。死六臣の一人。字は信之、号は碧梁。諡号は忠穆。本貫は杞渓兪氏。

生涯

早くに武科に及第し、北辺防備の任に当たり、1448年に僉知中枢院事、1449年に慶源都護府使・慶源節制使を経て、1452年には義州牧使に任命された。翌年、1453年には平安左道都節制使に任命された。1455年4月に判江界都護府事を経て、6月に世祖が王位に就くと、武臣の最高位である同知中枢院事をとなった。

端宗が世祖によって退位させられると、端宗の復位陰謀に連座し、処刑された。

弓の名手であり、学識も深く、世宗文宗に愛された。気骨壮大で孝行者であり、宰相級である正二品に至っても、食事を欠かすほどに清廉で潔白であった。武臣ながら学問に優れ、絶義派学者としても知られ、詩調3つが伝わる。 粛宗により、兵曹判書に追贈された。果川の愍節書院、洪州の魯雲書院などに祀られた。

登場する作品

参考文献

  • 「アジア人物史 6」 集英社 2023年

関連項目

外部リンク




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「兪応孚」の関連用語

兪応孚のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



兪応孚のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの兪応孚 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS