偵察メンバー第1号
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/30 18:30 UTC 版)
予告先発制度の導入前によく行われていた投手による偵察メンバーであるが、干場はその第1号である。1950年4月22日、熊本市水前寺野球場での対中日ドラゴンズ戦で、中日の先発投手が左の清水秀雄か右の服部受弘で迷った松木謙治郎選手兼任監督は、前日の対広島カープ戦で完投勝利を挙げた干場を1番・レフトとして出場させる。服部の先発が分かると、1回表に左打者の金田正泰がレフトの守備に送られて交代した。
※この「偵察メンバー第1号」の解説は、「干場一夫」の解説の一部です。
「偵察メンバー第1号」を含む「干場一夫」の記事については、「干場一夫」の概要を参照ください。
- 偵察メンバー第1号のページへのリンク