保科左源太の墓
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/28 01:41 UTC 版)
「満光寺 (伊那市)」の記事における「保科左源太の墓」の解説
高遠城主・保科正光は子どもがおらず、甥の左源太に家督を継がせるつもりで養子にしたが、後に江戸幕府の第2代将軍・徳川秀忠の側室が密かに生んだ正之を養子にすることとなった。このため正光は左源太の処遇に頭を痛めるが、左源太は正光よりも早くに夭逝した。五輪塔は高遠にあり、銘があるものものしては一番古いものとなる。
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