保福寺 (上野原市)とは? わかりやすく解説

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保福寺 (上野原市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/06 03:05 UTC 版)

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保福寺
所在地 山梨県上野原市上野原339-1
位置 北緯35度37分55.0秒 東経139度6分49.3秒 / 北緯35.631944度 東経139.113694度 / 35.631944; 139.113694座標: 北緯35度37分55.0秒 東経139度6分49.3秒 / 北緯35.631944度 東経139.113694度 / 35.631944; 139.113694
山号 安寧山
宗派 曹洞宗
本尊 地蔵菩薩
創建年 永禄元年(1588年
開山 日州宗雲
開基 加藤景忠
札所等 甲斐百八霊場第21番札所
文化財 雲版(山梨県指定有形文化財)、保福寺の山門と鐘楼(上野原市指定有文化財)
公式サイト 曹洞宗安寧山 保福寺<上野原市>
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保福寺(ほうふくじ)は、山梨県上野原市にある曹洞宗寺院

歴史

1588年永禄元年)、加藤景忠の開基である。景忠は上野原城の城主で、武田氏の家臣であった。甲斐国の東端にあり、後北条氏に対峙していた。武田氏滅亡の際に武蔵国多摩郡箱根ヶ崎(現・東京都西多摩郡瑞穂町箱根ヶ崎)に逃れたが、その地で討ち死にした[1][2]

当寺の「安寧山」の扁額は承天によるものである。承天は泉岳寺の役僧を務めており、赤穂事件の際に赤穂浪士を保護したことで知られている[2]

また当寺は小説家中里介山の『大菩薩峠』に登場する「月見寺」のモデルとされており、介山本人が書いた「月見寺」の石碑が建てられている[1][2]

文化財

  • 雲版(山梨県指定有形文化財 昭和40年5月13日指定)[3]
  • 保福寺の山門と鐘楼(上野原市指定有文化財)[4]

交通アクセス

脚注

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  1. ^ a b 当山のご紹介保福寺
  2. ^ a b c 山梨県高等学校教育研究会地歴科・公民科部会 編『山梨県の歴史散歩(歴史散歩19)』山川出版社、2007年、4-6p
  3. ^ 山梨の文化財ガイド(データベース)工芸品05山梨県
  4. ^ 保福寺の山門と鐘楼上野原市

参考文献

  • 山梨県高等学校教育研究会地歴科・公民科部会 編『山梨県の歴史散歩(歴史散歩19)』山川出版社、2007年

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