伊達定宗 (園芸家)とは? わかりやすく解説

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伊達定宗 (園芸家)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/03/16 15:08 UTC 版)

伊達 定宗(だて さだむね、1902年明治35年)12月22日[1] - 1955年昭和30年)3月17日[1])は、日本華族造園家園芸家吉田伊達家12代当主。旧名は[1](さだ)。

東京生まれ[2]子爵伊達宗定の二男[1]で、前当主の子爵伊達宗起の弟。伊達定清、伊達定継の父。

略歴

1925年(大正14年)東京農業大学本科卒業後、匠生として宮内省内匠寮工務課庭園係に勤務した[2]。1929年(昭和4年)に宮内技手補、次いで1933年(昭和8年)宮内技手となった[2]

1934年(昭和9年)9月20日に分家したが、兄宗起が1940年に34歳で死去したことに伴い本家に復籍し、1941年(昭和16年)6月16日に子爵を襲爵した[1][3]。同年に定宗と改名[2]

1946年(昭和21年)宮内技師となり、その後退官した[2]。宮内省に在職中は皇居および新宿御苑に勤務した[2]

脚注

  1. ^ a b c d e 『平成新修旧華族家系大成』下巻、63-64頁。
  2. ^ a b c d e f 『皇室建築 内匠寮の人と作品』425頁。
  3. ^ 『官報』第4331号、昭和16年6月17日。

参考文献

日本の爵位
先代
伊達宗起
子爵
吉田伊達家3代
1941年 - 1947年
次代
(華族制度廃止)



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