伊藤雅和
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/09/08 04:16 UTC 版)
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基本情報 | ||||
生年月日 | 1988年6月12日(37歳) | |||
国籍 | ![]() |
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出身地 | 神奈川県横浜市 | |||
身長 | 171cm | |||
体重 | 60kg | |||
選手情報 | ||||
所属 | 引退 | |||
分野 | ロードレース | |||
アマチュア経歴 | ||||
2007-2011 | 鹿屋体育大学 | |||
プロ経歴 | ||||
2011-2016 | 愛三工業レーシングチーム | |||
2017-2019 | NIPPO・ヴィーニファンティーニ | |||
2020-2021 | 愛三工業レーシングチーム | |||
2022 | シエルブルー鹿屋 | |||
主要レース勝利 | ||||
ツール・ド・インドネシア、ステージ2勝 2008 ツール・ド・シンカラ、ステージ1勝 2012 |
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最終更新日 2020年1月18日 |
伊藤 雅和(いとう まさかず、1988年6月12日 - )は、神奈川県横浜市出身の元自転車ロードレース選手である。
経歴
法政大学第二高校を経て、2007年に鹿屋体育大学に入学する。
その年のU-23全日本選手権において、当時4年生でエースであった村上純平のアシストをしつつ3位表彰台を獲得する。
2008年には、ツール・ド・北海道でU-23新人賞(総合11位)を獲得。さらに日本代表チームとして参加したツール・ド・インドネシアにおいて、第4ステージと第9ステージでステージ2勝を達成した。
2011年、愛三工業レーシングチームに加入。
2012年、ツール・ド・シンカラにおいて、第1ステージでステージ1勝した[1]。
2014年、ツール・ド・ランカウイ(2.HC)初日に落車、大腿骨転子部骨折により長期離脱を余儀なくされる。幸いにも手術は成功、ジャパンカップで復帰。[2]
2017年、NIPPO・ヴィーニファンティーニに移籍[3]。 ツアー・オブ・ジャパン第5ステージで落車、右大腿骨転子部骨折により戦線離脱。
10月のツアー・オブ・チンハイレイクでレース復帰。[4]
2020年、NIPPO・ヴィーニファンティーニのチーム解散にともない、愛三工業レーシングチームに移籍。
マレーシア・インターナショナル・クラシック(1.1)において6位入賞。
2021年、ツアー・オブ・ジャパン(2.2)総合6位。
全日本選手権ロードレース8位
大分アーバンクラシック(1.2)6位入賞
2022年、シエルブルー鹿屋へ移籍。プレイングマネージャーとして若手育成に携わる。
全日本選手権ロードレース11位
シーズン末をもって選手を引退。[5]
2023、シエルブルー鹿屋の監督を行いながら、フィッティングサービスを開始。
脚注
- ^ “伊藤雅和がツール・ド・シンカラ第1ステージで勝利 総合リーダージャージ獲得”. cyclowired.jp (2012年6月4日). 2018年3月19日閲覧。
- ^ “ランカウイで大腿骨骨折した伊藤雅和の手術が成功「強くなって帰ってきたい」”. cyclowired.jp (2014年3月5日). 2019年7月2日閲覧。
- ^ “内間、中根、伊藤、小林がNIPPOヴィーニファンティーニへと加入”. cyclowired.jp (2016年10月24日). 2018年3月19日閲覧。
- ^ “伊藤雅和、右大腿骨骨折の手術が無事に終了”. teamnippo.jp (2017年5月26日). 2019年7月2日閲覧。
- ^ “現役引退のご報告” (2022年9月22日). 2025年4月22日閲覧。
リンク
- 本人によるブログ
- チームのプロフィールページ
- 伊藤雅和 - サイクリングアーカイヴス
固有名詞の分類
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