伊藤鏡河とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 伊藤鏡河の意味・解説 

伊藤鏡河

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/04/15 14:53 UTC 版)

伊藤 鏡河(いとう きょうか、いとう きょうが、宝暦2年(1752年) - 文政12年3月6日1829年4月9日))は、江戸時代中期から後期にかけての豊後国岡藩儒学者である。名は幸猛。字は寛叔。通称は文蔵、作内左衛門。別号に環翠園、鏡湖などがある[1][2]

略歴

岡藩士田近家の六男として生まれ、後に伊藤家の養子となった[1]荻生徂徠に傾倒し、江戸で安達清河らに学び、天明4年(1784年)から岡藩の江戸藩邸世子らの教育にあたった。安永5年(1776年)に岡藩の藩校由学館が開設されると、その司業、近習物頭となった[1]

また、唐橋君山田能村竹田らと『豊後国志』の編纂に携わり、君山の没後には竹田らとともにその業を引き継いで、享和3年(1803年)11月に全9巻を完成させた[1]

脚注

  1. ^ a b c d 作家概要 伊藤鏡河 大分県立美術館
  2. ^ 伊藤鏡河 デジタル版 日本人名大辞典+Plus



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「伊藤鏡河」の関連用語

伊藤鏡河のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



伊藤鏡河のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの伊藤鏡河 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS