伊東雋祐とは? わかりやすく解説

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伊東雋祐

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/05 16:52 UTC 版)

伊東 雋祐(いとう しゅんすけ、1927年7月18日[1] - 2006年6月9日)は、日本のろう教育者ろう者の権利獲得、手話通訳の普及に尽力した。京都府福知山市出身。息子は合唱指揮者作詩家伊東恵司

人物

京都師範学校立命館大学文学部日本文学科卒業[1]。大学卒業後の1949年京都府立聾学校に勤務(1988年まで)。ろう教育の現場でろう者と関わる中で、手話通訳運動の普及、指導に尽力した。

1968年6月、福島県で行われた第一回全国手話通訳者会議において、ろうあ者の権利を守ることを立脚点とした「手話通訳論」を提唱した[2][3]1974年6月、全国手話通訳問題研究会の結成にあわせ、同研究会の初代運営委員長に就任[4]。2004年に同研究会の名誉運営委員長に就任(2005年まで)[4]

アララギ」「」に参加する歌人でもあった[5]

2006年6月9日、逝去。

著作集

参考文献

  • 小野昌繁 編『系譜別現代歌壇総覧 昭和41年版』短歌研究社、1966年、284-285頁。 NCID BN0178474X 

脚注




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